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終 戦 Ⅵ [記事]

雨降りの天気が続いたが昨日は雲一つない青空、外へ出れば太陽がさんさんと照りつける。

f早く10月頃になってくれないかな、体が持たない。

さて今日も25連隊の続きです。


 連隊本部付となる。
 開けて16日朝早く連隊本部に着く、名前が失念したが、わが中隊の見習士官が出迎えてくれた。
 朝食を食べて真岡の方向に鉄道線路を分隊長と3名で1キロほど歩いていると線路脇に大きな穴が開いていた。質問したらソ連機の爆弾の跡だという。周囲を見たらもし襲撃されたら逃げ場がない。早々にして帰る。
 本部付きとなったが仕事がない、聞いた話だが、電信郵便局長の家で寝泊まりしていて、電話の交換はこの郵便局の奥様が行っているという。万が一民間人が避難したらその後・・・

 次の日ソ連偵察機の機銃掃射を受ける。召集兵だろうか年配の兵隊が「たこつぼ」に入った。空から見ればまる見え、機銃のお見舞いをうけ、負傷した。我々は近くの林の中に隠れたので何事もなかった。
 あまり退屈なので線路巡回でもやろうかということで許可を取り、豊原方向に10キロほど歩いた。だいたいが鉄道線路沿いに電話線が通っていたので助かった。
 いつの間にか私は電話線路の真下を歩いていたとき、20メートル前を土煙を私の方に向かって走ってきた。あれ!何だろと思った瞬間ソ連の偵察機の機銃掃射、ちょうど2メートルほど手前で止まった。(これ、30秒ほど)
  
 私も慌てましたね、銃を撃ちましたが、悲しいかな単発銃。自動小縦だったら・・・

 

 北部での戦闘
 ソ連が8月8日、日ソ不可侵条約破棄、9日宣戦布告する。まず国境警備警察隊に加えられた攻撃であるが、その動きは緩慢であった。11日にソ連軍が本格的に侵攻してきた。ルートは2ルート。しかし、ツンドラ地帯で戦車や重砲などは通行可能ルートが限られ、国境警備警察隊と歩兵第125連隊2小隊120名が抵抗、敵、1個軍団を丸1日食い止めるが、その殆どが戦死する。

 第125連隊本部を八方山に置き、最後は国境より10キロほど南の鉄道の終着駅古屯を占領され、この街や八方山の攻防が17日まで続くが、結局19日午前0時にようやくソ連軍による武装解除となった。

 西海岸国境の町安別も占領され11日、塘路、恵須取の海から一度上陸しようとしたソ連兵を追いやったが、2度目には上陸され、太平炭鉱病院など無差別空襲、住民にも相当被害がでた。19日戦闘中止した。
 ここでも、炭鉱病院看護士が集団自殺している。 


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 ダリア。
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 ハッカ。
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 ニラの花。
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終 戦 Ⅴ [記事]

毎日暑いですね、暑さに弱い私は家の中にこもりっきりでいます。

今日も続きます、というと分かりますね。


 昭和20年3月10日入隊。
 私は歩兵第25連隊通信中隊(中隊長:日比中尉)に入隊する。続いて6月だと思ったがまた初年兵が入ってきた。
 豊原に新しくできた第306連隊に古年兵が移動。7月末にその初年兵と教育班を残して、中隊は歩兵第25連隊に小隊単位で各大隊に配属され結局ばらばらになる。

 先に北部両海岸(真縫~久春内)には第125連隊、第25連隊と第306連隊はその以南を米軍上陸を警戒警備についた。
 歩兵25連隊は連隊本部と歩兵砲大隊を小沼に置き、第1大隊落合に、第2大隊は西能途呂岬(北海道稚内要塞司令官の指揮下)第3大隊は留多香に展開した。
第3大隊に配属された私たち通信小隊(小隊長:仲川曹長)有線分隊は留多香通信郵便局の電話交換を行った。

 ソ連参戦で、連隊は真岡を中心とする守備についたのは、8月9日以降で、第1大隊主力が真岡に着き、小能途呂から真岡にかけての海岸線の背後に入り、連隊本部と歩兵砲大隊は逢坂に進出したのは12日であった。
 しかも、第1大隊の第3中隊は恵須取に第125連隊の応援に急派され、第3大隊の10中隊は上敷香の筑紫参謀の指揮下に入り、1個連隊というものの、歩兵は約半数の兵員であった。
 10日、本斗~野田に至る海岸線をソ連から防御するために重点配備をした。しかし、11日には国境方面の戦闘が思わしくないので第1大隊の一部を残し応援するよう師団命令。

 しかし、その後またウラジオストックからソ連艦隊が北上中ということで命令を取り消し、前任務に復帰するようとの命令で慌ただしい命令変更で右往左往したが、第1大隊は本部と主力を真岡・荒貝沢に残し、各中隊を決められた場所に配置した。

 第3大隊の私たちは、終戦の日15日にはこれで解散かと思っていたが、解散命令が出ない。その日の夜9時過ぎに、私たち分隊(分隊長以下9名)だけが転進命令、弾薬を積んだトラック2台に分乗し、連隊本部のある逢坂に・・・・

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停 戦 Ⅳ [記事]

いくらか涼しくなったのだろうか、歩いて汗もあまり出なくなった。

今日は樺太のソ連軍との戦闘。


 樺太の戦闘。
 樺太におけるソ連軍最初の攻撃は、8月9日午前7時30分、武意加の国境警察に加えられた砲撃である。
 しかし11日までは斥候兵が出没するのみで、その動きが極めて緩慢出会った。これはソ連側が満州における進捗如何では樺太およびちしまへの兵力を同方面に振り向けることを考慮していたためである。
 11日午前5時頃より、樺太方面における主力とされたソ連軍第56狙撃軍団は本格的に侵攻を開始した。ルートは樺太中央部を通る半田経由のものと、安別を通る西海岸ルートの二つに分かれていた。しかし、ツンドラ地帯ゆえ戦車や重砲の通行可能な限られていたこともあり、その進撃が華々しくなかった。他方、日本軍は方面軍の「積極戦闘を禁ず」という命令、専守防衛的なものとならざるを得なかった。
 
 だが、国境付近の半田集落において国境警備隊と2個小隊約100名が抵抗、1個軍団を丸1日にわたり食い止めるなどの善戦を見せた。ただし、その多くは後に戦死した。国境10キロほど後方の八方山陣地においては、日本軍第125連隊が防御を行った。
 そのほか、不兵を配置するなどの挺身奇襲攻撃を実施、時間的猶予を得ることに努めた。
 そり間に非戦闘員の鉄道による後送を実施、これに成功した。元来樺太は現有兵力でのみ防衛に当たることとされていたが、日本側の航空兵力が皆無だったこともあり終戦の知らせと大陸命によりこちらも中止された。

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 しかし、実際の戦闘はこの後も継続し、収束を見るどころかむしろ拡大していった。
15日の時点では、国境の古屯でのみ防御戦闘が続けられていたが、同日ソ連統帥部は真岡・千島への侵攻を決断、夜には恵須取攻略戦団が再び出港していた16日には恵須取への再攻撃が開始され、浜市街や太平炭鉱付近などもソ連軍による艦砲射撃と航空機による無差別攻撃があり、追い詰められた太平炭鉱病院の看護婦が集団自決する事件が発生。

 これに対し、日本軍は18日の戦闘行動中止命令を受け、連絡を受けた部隊から順に解散していたが、19日以降も方面軍から自営戦闘継続が要求される。
 ソ連軍が南下を続ける限り、という条件付きのものではあったが、ソ連側が「停戦には応ずるが、日本軍が無条件降伏をしたのだから、わが軍は目的地を占領するまで前進する」と取り合おうとしなかったこともあり、実質的には戦闘の継続を意味した。

 真岡へのソ連軍上陸で事態はさらに急を告げる。同地は樺太南西に位置する港町で、ソ連海軍北太平洋艦隊が20日早朝から艦砲射撃を行い、その後上陸した。真岡にあった部隊はの多くは当時終戦に伴う師団からの命令により当方の荒貝沢に移動しており、市街に残っていたのは管理部隊が殆どだった。このため犠牲になったのは一般市民であり、無差別乱射により殺害されたものもあったという。

 この時同地では、電話交換手自決した真岡郵便電信局事件や清水村瑞穂における日本人による樺太朝鮮人虐殺事件も発生した。
 同地にあった歩兵第25連隊は、軍使の派遣を考慮し発砲を禁じたが、軍使殺害事件が発生したため自営戦闘切り替えた。21日朝には接敵機動、熊笹峠に後退しつつ現場指揮官は抵抗し続け、避難民の後方への移動を援護する。
 

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終 戦 Ⅲ [体験記]

昨日は少し日中の温度が下がった19度とか。

今日も同じらしいですよ。

さて今日は国境および北部を守っていたのは歩兵第125連隊のお話です。


 歩兵第125連隊の行動
 樺太終戦記録・金子俊男著

 7月に入ると、ソ連軍の動きは、侵攻必至と判断しないわけにいかないほど活発になった。
 ある朝、山頂で望遠鏡をのぞいた日の丸監視哨の兵隊は愕然色を失った。それまでオノール付近の山陰からチラット姿を見せる戦車を先頭に自走砲など機甲部隊が国境へ向かい一斉に南下を始めているのだった。
 
 内路など各地で陣地構築に当たっていた歩兵125連隊の第1、第3大隊に直ちに国境に向かうよう命令が飛んだ。が、国境近くまで進んで森林に入ったソ連軍は、ぴたっと停止したきり。
 そして翌朝進行の火ぶたを切るに違いないと、息を殺して行動を見守っている日本軍の前を、夕刻、何事もなかったかのようにオノールの方向に立ち去った。

 ほっとするとともに、ソ連が地続きの国境を突破して進行するときは、100%疑う余地のない自室と判断しないわけにはいかなかった。

 鈴木参謀長はその週だけで3回、第5方面軍司令部の作戦、情報参謀に電話でそのことをいい、師団は全力をソ連に向けるべきだと意見を述べたという。

 軍司令部から「ソ連侵攻し来たるときは、樺太兵団はこれと対戦するものなり」と命令電報が届いたのは、月が変わった8月3日午後4時。実際にソ連軍が行動を起こした日の6日前である。

 南(対米)を兵団は、ソ連の侵攻前ぎりぎりでかろうじて頭だけを北に向けさせることができたことになる。歩兵第125連隊長は、北地区守備隊長になり、師団直轄の特設警備隊や国民義勇戦闘隊を含めて指揮する権限、支庁長と相談、法人の避難の指示などをする指揮する権限もむ付与された。しかし、対ソ作戦に転換した直後で、師団参謀部は邦人の避難などについての構想を持っていたが、現地の守備隊長にはまだ具体的なものはできていなかったし、予想よりも早く侵攻が開始されたこともあって、国境地帯石灰山働く作業員を避難命令を9日朝早く出したにとどまった。

 邦人はこのため混乱したが、満州での関東軍がなすところなく邦人とともに雪崩を打って敗走したあのような悲劇を樺太で防ぎ得たのは兵団が心の準備ができ来てだけでもできていたためである。

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 次回に続く 



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終 戦 Ⅱ [雑感]

当方でもとうとう30度を超えてしまいました。

7日は32度まで上がりました。私は暑さに弱いので困ります。

さて前回の続きになります。


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 軍の状況 Ⅱ
 7月末にはだ第125連隊は国境および北部東西両海岸(真縫~久春内)、その南を第25連隊、第306連隊を米軍上陸を警戒して展開した。

 第25連隊は対米陣地構築のため、連隊本部、歩兵砲大隊を小沼に起き第1大隊を落合に、第2大隊を西能途呂岬(北海道稚内要塞司令官の指揮下)、第3大隊は留多香に、真岡に特設警備305中隊が警備についた。(この特設警備隊は終戦の15日に解散している)

 私たち通信中隊は初年兵と教育班を上敷香に残し、各大隊に配属された。第3大隊には私たち有線分隊を含む通信小隊(小隊長 中川曹長)が配属され、私たち有線分隊は留多香郵便局の電話交換台1台を軍用にして交換業務を行った。
 
 ソ連参戦で、連隊は真岡を中心とする守備についたのは、8月9日以降で、第1大隊主力が真岡に着き、小能途呂から真岡にかけての海岸線の背後に入り、連隊本部と歩兵砲大隊は逢坂に進出した12日であった。

 しかも、第1大隊の第3中隊は恵須取に第125連隊の応援に急派され、第3大隊の第10中隊はは上敷香の筑紫参謀の指揮下にはいり、1個連隊というものの、歩兵は約半数の兵員であった。

 10日、本斗~野田に至る海岸線ソ連から防御するために重点配置をした。しかし、11日には国境方面の戦闘が思わしくないので第1大隊の一部を残し応援するようの師団命令。

 しかし、その後またウラジオストックからソ連艦隊が北上中ということで先の命令を取り消し前任務に復帰するようとの命令で慌ただしい命令変更で右往左往したが、第1大隊は本部と主力を真岡・荒貝沢に残し、各中隊小隊を決められた場所に配置した。

 第3大隊の私たちは、終戦の日15日にはこれで軍隊も解散かと思っていたが、解散命令が出ない。その日の夜9時過ぎに、私たち分隊(分隊長以下9名)だけが転進命令、弾薬を積んだトラック2台分乗し、連隊本部のある逢坂に・・・。

 第25連隊本部の各大隊などへの通信連絡は殆ど電話連絡。逢坂郵便局の電話交換は局長の奥様が行っている。私たち分隊は何のために逢坂に転進したのか・・電話線の保守程度か。
 


 次回に続く

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タグ:終 戦 Ⅱ
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終 戦 Ⅰ [雑感]

なんやかんやでずいぶん長くブログを休んでしまった。

家内は医師の説明では左足の膝にひびが入っているとのこと。

4年前に右股関節骨折、歩くまでに5ヶ月ほどかかった。

8月はソ連の捕虜となった月でいつも忘れることができない、

毎年同じことを書いてきたが、たぶん今年で終わりにしたい。


 は じ め に
 終戦から71年長い月日が流れた。経験者として私たちの中隊ばらばらとなったため、殆どもう逢いません。

「氷雪の門」のある北海道稚内の丘に立つと鉛色の宗谷海峡の向こうに樺太が見えるその詩文には、「人々はこの地から樺太に渡り、樺太からこの地に帰った。

 戦後はその門が堅く閉ざされた。それから、十八年(建立は昭和38年)望郷の念やみがたく、多くの同胞の霊を慰めるべく、肉眼で樺太が見えるゆかりの丘・・・」とある。

 思えば昭和20年の夏の初めまでは樺太は、本土決戦という悲壮感が日本中に覆って中で、唯一平和な島であった。だが、その樺太の平和も8月9日の朝、ソ連対日参戦によって、一方的に破られた。

 札幌の第5方面軍は当初ソ連とは不可侵条約があるので、米軍の侵攻ばかり想定していたようだ。

樺太の地図。
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 軍 の 状 況
 国境の守備は国境警察隊が警備していたが、1941年6月(昭和16年)に国境から100キロ南の上敷香に歩兵第125連隊、歩兵第25連隊を基幹とする樺太混成旅団が結成された。

対ソ静観の方針に従い情報収集や物資集積に努めていた。

 アッツ島玉砕を受け関心が千島の不十分な防備に移ってしまった上、対米戦のための陣地構築が樺太南部や東海岸で実施されるようになったが、その進捗は中途にとどまった。

 さらには国境地帯に広がるツンドラが陣地構築に妨げとなったり、住民の避難については、1944年秋に第5方面軍指示されたが資材や人員の不足から、上敷香から内恵道路に至る道路を構築しただけに過ぎない。

 昭和20年6月に豊原に歩兵第306連隊が結成され、20,200名とも22,000名とも言われる第88師団が編成された師団長は峰木中将。

 師団隷下、歩兵第25連隊、歩兵第125連隊、歩兵第306連隊、師団通信隊、第88山砲、第88輜重、第88工兵各連隊で航空機、戦車はなし。そしてその上部機関は札幌の第5方面軍。

 次回に続く。


 グラジオラス。
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 モントプレチア
 別名:ヒメヒオウギズイセン。
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タグ:終戦
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ノウゼンカズラ・・・ [花]

最近、天候があまり良くないですね。

昨日などは朝てっかりで暖かかったのですが、時間が経つにつれくもり、そして夕方になって時々霧雨が降ったりした。

私事ですか、家内が転んで今度は反対の足が骨折、入院してしまったので余計な仕事が増え、

時々不定期で休みます。よろししくお願いします。



 ◆ ノウゼンカズラ。
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 ◆ 宿根フロックス。
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 ◆ ホタルブクロ。 IMG_3418.jpg  ◆ 白いカワラナデシコ。 IMG_3419.jpg  ◆ アスパラガスの花と実。 IMG_0475.jpg IMG_3410.jpg
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イソトマ・・・ [花]

ソ連と戦って3年もシベリアで捕虜生活をしていた日が近づいて来た。

8月23日がその捕虜になった記念すべき日である。

今日も花をこのブログに並べます。



 ◆ イソトマ。
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 ◆ オキザリス。
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 ◆ アメリカンブリー。
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 ◆ アグロステンマ。
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 ◆ オオバギボウシ。
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 ◆ イトバハルシャギク
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 ◆ ニゲラ。
   この花は先月泡30日にアップしましたが花が散った後は、
          下の写真のよな形になり袋の中には種が沢山入っています
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次回は26日になります。


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2016-07-19 [花]

 ◆ ルドベヤア。
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 ◆ ブッドレア。
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 ◆ ツボサンゴ。
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 ◆ 花名不詳。
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 ◆ シロタイギク。
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 ◆ ヒルガオ。
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 ◆ ヘメロカリス。
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キンギョソウ [花]

昨日は霧雨が一日中降っていた。今日もあまり天気が良くないようだが・・・

今日も花、その次も花、どこも歩かないのでというより、歩く暇がないので・・・



◆ キンギョソウ。
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◆ タチアオイ。
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◆ コスモス
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◆ チェリーセージ。
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