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樺太逢坂・歩兵第25連隊 Ⅱ  [体験記]

 前にも書いたが私はどこに所属しているかというと、歩兵第25連隊通信中隊だが、7月末、連隊が各地に展開したとき25連隊第3大隊に中川曹長を小隊長として配属、中隊は第1、2、3大隊、歩兵砲大隊に配属され、ばらばらになった。

 私達!個分隊(10名)は留多加郵便局で電話交換手として働いていた。夜勤があるので部屋は別棟を与えられたが、他は無線担当だろうと思う、顔を合わしたことがなかった。

 8月15日終戦の日の夜、弾丸を積んだトラック2台に分乗して逢坂に・・・、連隊本部が8月9日以降で、第1大隊主力が小能途呂から、真岡にかけての海岸線の背後に入り、連隊本部と歩兵砲大隊は逢坂に進出したのは12日であった。

 連隊本部は事務所と宿舎は逢坂小学校、電話は、最後まで局長の奥様が行っていた。一体我々は何ために逢坂みらに来たのか、なんの仕事がない。

 26日朝食を取り、名前が失念したが見習士官迎えてくれた。前述の事情を話してくれた。すぐ、見習士官と分隊長と私と3名が手井駅方面を線路を行ったが途中1キロ歩いたら。線路脇に大きな穴が見つかり、場所は線路から両脇40メートル、全長150メートルほど、伐採されて、いざというとき身を隠し場所がなく、引き返す。


 地 図。
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 ノーゼンカズラ。
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コメント 8

mimimomo

おはようございます^^
終戦でもすべて終わったわけではないのですよね~ソ連とのことはその後ですものね。
ノーゼンカズラは夏らしいお色ですね^^
by mimimomo (2017-08-06 06:22) 

旅爺さん

ソ連が終戦を知ったのは、終戦の数日後だったとソ連のお偉いさんが言ってたのを思いでしました。辛かった想い出はなかなか消えませんね。
by 旅爺さん (2017-08-06 13:38) 

YOUR-MOM

終戦間際の上層部の指示系統の乱れが垣間見えます。

by YOUR-MOM (2017-08-06 21:46) 

アールグレイ

ノーゼンカズラやゼラニューム、鮮やかな花で
夏の青空に映えますね^^
by アールグレイ (2017-08-07 08:52) 

oem

事業内容: 
工場との連絡(お客様が依頼した商品の製造上の意見や問題等を工場に伝える)
工場調査(工場の環境、規模、生産能力など)
商品開発(商品のデザイン、製造、包装)
検品(商品の品質の検査)
アマゾン(アマゾンFBA納品、出荷)

by oem (2017-08-07 10:14) 

くまら

ノーゼンカズラは当地でも見頃迎えてますよ
by くまら (2017-08-07 10:15) 

kohtyan

たいへん辛い経験をされました。日本領土の防衛にあたられたわけですね。
今、樺太の一部が日本領だったことを知っている人は少なくなりましたね。
by kohtyan (2017-08-08 10:13) 

kuwachan

mamiiさんと同年代の私の父は召集され、終戦当時中国の前線にいたとのことです。
15日に重大な放送があるとは聞いていはいたものの通信事情がよくなく、
日本が降伏したということは15日の夜になって初めて知ったとのことでした。
by kuwachan (2017-08-08 20:12) 

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