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樺太逢坂・歩兵第25連隊 Ⅳ [体験記]

 20日早朝、爆音がする。真岡へのソ連軍の艦砲射撃。
 20日早朝逢坂に爆音が届く。ソ連の艦砲射撃であった。
 艦砲射撃を加えつつ真岡に上陸してきたソ連の1個旅団が、避難中の市民に無差別攻撃。市人500人以上も命を失う。街中も砲撃され焼け野原となる。

ここでも、最後まで通信に携わっていた9人の女子電話交換手が青酸カリで自殺しています。最後の通信は北海道稚内郵便電信局の交換台に言葉を残しています。詳しく知りたい方は「氷雪の門」或いは「北のひめゆり」で検索すれば多くの記事にぶつかるでしょう。 ◆ 停戦の軍使射殺される。

 ソ連軍を上陸させ、熊笹峠に後退していた第1大隊長は師団の命令で停戦のための軍使をソ連軍に派遣するが射殺される。 以下はその状況が書き残されている。

 みんなは無言、先頭は遊佐兵長の白旗。その後に整然と隊伍を組んで進む。色々なことが脳裏を去来した。荒貝沢入り口にが近づいた。そこまでの距離は実に近く感じた。酒屋があり、付近には民家がまばらにある。無論人影どころか犬1匹見えない。

 前方の様子が分からない。停止した副官は眼鏡を撮りだしてみたいたが、右手の小高い丘には何も見えない。前進、30mほど進んで鉄道踏切に差し掛かった時、突然、その丘の上にソ連兵が姿を現し、軍使の停止を求めながら近寄ってきた。

 分隊は踏切の上にいた。副官は白旗の遊佐兵長、中前軍曹、通訳の金山軍曹とともに前に進み出た。分隊との間隔10mほど。副官は通訳を通じて話している。指揮官との会見を求めたのであろう。私たちのところからは何も聞こえない。

 軍使を取り囲むようにして、10mほど手前で一旦止まったソ連軍は、銃をそこに置けと要求、村田中尉の指示で一行は道路端に叉銃すると、同行している軍犬もそばの電柱に縛るよう要求、その指示に従った。こうして武装を解いた後ソ連軍が近づいてきた。

 軍使の申し入れに対し、ソ連軍は受け入れる様子がなく、一人のソ連兵が銃を構えて立ち撃ちの姿勢をとった。副官は胸元の銃口を手で横に押しやって尚話をする。金山軍曹のが懸命の通訳をしていた。その時、先程のソ連兵が突然副官の体に銃口を向けるなり銃を乱射した。

 「伏せろ」、誰かの声で、私は副官の倒れる姿を見ながら線路脇の排水溝に飛び込んだ。ソ連兵が最初の乱射と同時に駆け集まって、自動小銃を構えて一斉に撃ち始めた。

 私は小銃をとって排水溝を30mほど走った。溝の横が小高くなっているので、ソ連兵の位置から死角になって気づかなかったのだろう。そして、更に走って小山に登り、防空壕を見つけて飛び込んだ。ところがどうだろう。現場から50mほどの壕内に逃げ遅れた住民が入っている。北の方から来た避難民であった。銃声が止むのを待って「夜になったら部隊のいる方に逃げてくるように」言い残し、夢中で本部に向かって走った。

 私は状況を報告した。仲川大隊長以下その時の顔を覚えていない。20分ほど遅れて遊佐兵長、太田上等兵が負傷し、血みどろになって帰ってきた。大隊長はこの時、初めて戦闘の腹を決めたのだろう。
 この模様を第1大隊長から25連隊長に報告し戦闘開始する。



 ◆ 紫陽花。
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 ◆ ヘリオプシス。
 キク科ヘリオプシス属。 多年草。北アメリカ原産、明治中期に渡来する。
 「ヒメヒマリ」「キクイモモドキ」の別名がある。
 非常に丈夫な植物で病害もなく日当たりの良い場所を好む。
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 ◆ ニワウメの実。
 バラ科  果実はほぼ球形、大きさは1センチ。
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YOUR-MOM

終戦後の奇襲攻撃、卑劣極まりなく、その場にいて戦わざるを得ない
軍人の気持ちは計り知れません。
今日は終戦記念日ですが、この日の後にこんなことがあったなんて。
by YOUR-MOM (2017-08-15 07:28) 

mimimomo

こんにちは^^
今のロシアも似たり寄ったりですが、ソ連ってほんと「卑劣」ですよね。
当地は今年夏が短かったと言うか無かったような、気温があまり高くない日々です。

by mimimomo (2017-08-15 10:27) 

Take-Zee

こんにちは!
昨夜、NHKで樺太の終戦時を放送していました。

by Take-Zee (2017-08-15 10:43) 

いろは

こんにちは^^
昨晩、私もNHKの樺太の終戦時のお話を観ました。
電話交換手の女性が全員青酸カリで自殺したことも。
その内のお一人の妹さんが出ていらしてお話をされていました。
本当に胸が詰まるお話ばかりで、戦争の酷さを改めて感じました。

by いろは (2017-08-15 15:41) 

ゆきゆき

戦地の実情をお話してくださる方が次第に高齢化してきました。
為政者の謝罪の言葉が欲しいです。
8月1日から太陽を見て居りません。
気分が憂鬱になりますね。
by ゆきゆき (2017-08-16 11:33) 

にゃごにゃご

こんにちは。
私の叔父(北海道伊達町出身)、樺太に抑留されていました。
衛生兵で伍長でした。
小さい頃、戦争や捕虜の時の話を聞かせてくれました。
by にゃごにゃご (2017-08-16 14:36) 

くまら

録画したNHKの番組見ました
その時、なぜ当時の日本政府がソ連を注視してたのかがわかったような気がしました
by くまら (2017-08-16 20:22) 

yoko-minato

私はNHKは見れなかったのですが
他局の特攻隊の特集を見ました。
やはり生き残っている人たちの生の
声をもっと伝えるべきだと思いました。
戦争を知らない世代ばかりで、本当の戦争の
怖さを論ずることはできませんよね。
by yoko-minato (2017-08-17 08:22) 

旅爺さん

終戦記念日を迎えて尚更昔の辛かった想い出が蘇ってくるでしょうね。
今の世代は戦争の恐ろしさは感じてないでしょうね。
by 旅爺さん (2017-08-17 10:22) 

U3

NHKの特番でもポツダム宣言受諾後の樺太の停戦後の7日間を視聴しました。
戦争の悲惨さと空しさを感じた次第です。
石井731部隊の非道さとインパール作戦の愚劣、すべて最初から最後まで見ました。
驚いたことに日本の陸軍の参謀とか高級将校は、それら無謀で悲惨な行為を繰り返しても何の責任も問われず、自己を正当化し戦後も生き残ったと言うことです。一般社会でも国会でも責任の所在が未だ不明確な日本が、世界からその責を追求されても致し方のないことだと思います。市井の民と一兵卒は権力にとっては捨て駒でしかないとハッキリと分かりました。
by U3 (2017-08-18 11:45) 

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