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樺太逢坂・歩兵第25連隊 Ⅶ  [体験記]

 私は戦前生まれ、樺太育ちです。なんで終戦後戦わなければならなかったか・・・・

 皆さんの中にも体験された方が多くおられると思いますが、戦争とはどんなものか、そして敗戦とはどんなものか身を以て体験しました。

 なんだ戦争の記事か・・どうでもいいやと思われる方はどうぞスルーして下さい。なお、私が経験した以外の記事は樺太1945年夏(樺太終戦記録・・金子俊男著)やWebより転載しています。



 宝台ループ線上の攻防。
 真岡に上陸したソ連軍の主力が豊真山道の荒貝沢、熊笹峠を突破して東に向かっていた頃、真岡手井に上陸した部隊もまた山道に平行する豊真線上を進んできた。
 
 豊原、真岡を結ぶ同線は東海岸と西海岸を結ぶ唯一の鉄道である。ソ連軍がここを進んでくるとしても、線路上を歩いて来るしか方法がなくトンネルと鉄橋で阻止すれば事足りるはずであった。
 
 しかし停戦命令によってこの計画が決行されずに終わり、21日未明には予測していた通り、豊真線上を「黒い服装の大部隊」が進んできていることが、追われるようににして避難してくる人たちや鉄道員の電話で、逢坂の歩兵第25連隊本部に知らされた。

 第3大隊の第11中隊は逢坂急進の命を受け、午前4時少し前に連隊本部に着き、直ちにループ線のある宝台駅付近での仰撃の命令を受けた。同中隊はトラックで二股に引き返し、軍に協力を申し出た同地の男子に後方の弾薬輸送を頼み、車を二股地区の婦女子の避難のために残し、線路上をを歩いて宝台駅のさらに西、ループ線付近まで進んだ。

 同中隊には第3歩兵砲小隊と第3機関銃中隊の一個小隊、それに工兵分隊、通信隊が配属された。

 トラックを捨てて線路上を宝台駅まで、約4キロ、この間、中隊は執拗なミグ機の機銃掃射を浴びた。宝台駅に着く寸前のトンネルを出た地点の鉄橋上では死傷者も出た。しかもたどり着いた宝台駅付近は身を隠す物もなく、やむなくさらに800メートル程進んで、午前11時過ぎ、ループ線を見下ろす地点まで進出した。

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 ノウゼンカズラ。
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 にらの花。
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 瓢箪では?。
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mimimomo

おはようございます^^
今腰痛に悩まされています(><;
大変な人生でしたよね~mamiiさん おかげさまでわたくしたちは
平和に暮らせています。
by mimimomo (2017-08-30 06:32) 

ぽちの輔

もうニラの花が咲いてるんですね。
最後の写真はバターナッツカボチャでは?^^;
by ぽちの輔 (2017-08-30 08:21) 

YOUR-MOM

中隊は執拗なミグ機の機銃掃射を浴びた。
下に居るものはミグ機から丸見えだったのでしょうね。
上からの攻撃に対しては下に居るものは無力ですね。
by YOUR-MOM (2017-08-30 08:59) 

kuwachan

mamiiさん、想い出すとお辛いこともあるでしょうが
体験談をお書きいただきありがとうございます。
以前も書いたと思いますが、私の父はmamiiさんと同世代で終戦は中国で迎えました。
今年の終戦記念日の前日だったかに聞いた話ですが、終戦の日の朝に中国軍の攻撃があり、
それが父の隣にいた人に当たりその方は亡くなられたそうです。
by kuwachan (2017-08-30 12:47) 

旅爺さん

未だに鮮明に思い出される悲劇を今の若者に知らせて戦争の恐ろしさを伝えたいものですね。
by 旅爺さん (2017-08-30 13:02) 

くまら

こういう話を今の若い子たちに話さないと
戦争をしたという事すら夢のまた夢と思ってる輩がもっと増えるかと
by くまら (2017-08-30 13:30) 

いろは

こんにちは^^
今年はこちらではノウゼンカズラがあまり咲いていません。
気候の関係でしょうか...ちょっと寂しいです。
by いろは (2017-08-30 14:36) 

lamer

ハナニラが綺麗です。
戦争と言う殺し合いですね。
果ては味方の兵士の肉まで食べる極限は地獄。
真面な神経では耐えられない状況でしょう。
人間が行う最低の行為だと思います。
独裁者は天皇の名を借り国家を盾に忠誠を誓わせて
恐怖を煽ってマイルとコントロールして戦争に国民を駆り立てましたね。
お鏡がどんなに恐怖だったか。
誰も喜んで出征したり見送ったりしません。
サバイバルゲームで楽しんでいたりしてますが戦争はゲームではありません。
実際は撃った弾で頭が血吹雪あげて砕け散るんですよ。
格だったら目に見えない感じで身体が犯されて子供を作る事が出来なくなったり、脳を犯されたり、神経を犯されたり、化学兵器でも人間が犯されて命を失うことでは同じでしょう。
具体的なイメージを描きたかったら「原爆の図」を見ると良いと思います。
長々とコメントして申し訳ありません。

by lamer (2017-08-30 17:08) 

きまじめさん

インタビューで8月15日が何の日かし知らない若者が多かったのに驚きました。
1人でも多くの人がmamii さんの記事を読んで、
戦争の悲惨さ残酷さを知っていただき、
8月15日がどんな日か、いかに平和がありがたいか知ってほしいと思いました。
by きまじめさん (2017-08-31 00:13) 

美美

体調を崩しなかなか皆さんの所へご訪問できないでいました。
やっとなんとか・・・
私も戦争を知らない世代の人間ですが
私の母なども辛い時代を過ごしてきたらしいです。
もっと色々な半紙を聞いておけば良かったと後悔しています。

by 美美 (2017-08-31 14:53) 

グランマーあいこ

 mamiiさん ご無沙汰しております。
今日で8月が終わります 毎年この時期に貴重な体験記をお書き頂き有難うございます。
92歳になられても これ程鮮明に記憶されており当時を語れる方が希少になった今日 大変有意義だと何時も感謝しております。

昭和20年8月14日に満州においてソ連軍の侵攻に寄り戦死した父を思い 遺族会活動を進めて参りましたが 遺児に当たる私たちも高齢となり この度戦没者の孫世代による青年部を立ち上げる事に成りました。
遺族会の存続と言うよりは 見た事も無い祖父たちの生きた証として命が繋がり 今日の平和が有るのだと若い方たちが私たちの意思を継いで呉れます事 大変有り難く思っております。

mamiiさん どうぞご体調にお気をつけて 今後共どうぞ貴重なお話を宜しくお願い致します。 
by グランマーあいこ (2017-08-31 19:31) 

U3

 私の母は来年卒寿となりますが、アメリカの戦闘機に女学校の帰りに田圃のど真ん中で機銃掃射を浴びたり、学生動員で一緒に駆り出された級友が米軍の爆弾直撃で何人も軍需工場で亡くなりました。
 戦争の悲惨さを知らなければ明日への展望も見えて来ないと思います。伝聞でも戦争経験のある親や大人に跡を継ぐ人々は聞いておくべきだと思います。悲惨さを知らない人たちが自衛や憲法改正を声高に叫びそれに付和雷同する風潮が恐いと思います。
by U3 (2017-09-02 18:00) 

萌田かずきち

mamiiさん、貴重なお話いつもありがとうございます。

お恥ずかしい事に数年前までソ連軍が侵攻してきた事、知らなかったですが
ソ連と戦争してたわけでも無いのに、亡くなられた方の無念を考えると胸が張り裂けそうです。

自分も父方の祖父の弟(戦死)や1番上の叔父さんや母方の祖父も戦争経験者という事もあって戦争で亡くなられた方はもちろん、生き抜いてその経験を伝えてきたすべての方々のお陰で平和でいられる事に感謝の気持ちと尊敬の念を抱かずにはいられないです。

今またこの国は大事な局面を迎えてきてますが、この平和を守り抜かねばという気持ちでその責任を感じます。
by 萌田かずきち (2017-09-03 02:45) 

旅爺さん

戦争は終わってノウゼンカツラも綺麗に咲いてくれましたが、
昨今は北が騒いでるので昔の戦争を思い出してしまいます。
by 旅爺さん (2017-09-03 17:33) 

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