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ナデシコ・・・・・ [花]

26日夜から休まず雨が降っている。予報では昨日朝までだったが・・・・
,br />今日の花は8日~15日に近くの家に咲いていた花です。


 ◆ ダイアンサス。 (ナデシコ科ナデシコ属) 
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 ◆ セイヨウバイカウツギ。 (ユキノシタ科バイカウツギ属) 
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 ◆ スイセンノウ。 (ナデシコ科センノウ属) 
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 ◆ チャイブ。 (ユリ科ネギ属) 
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◆ 歩兵第25連隊の守備 Ⅲ

軍使射殺される。

真岡・荒貝沢に第1大隊本部を置いていたが19日から停戦する準備を整えた。師団からの命令で、18日には約一割古年次兵が除隊させる。1個中隊の人員が80人ほどになってしまった中隊もある。

連隊長は仲川第1大隊長に対して師団の従前からの指示に基づき速やかに停戦の軍使を派遣することを命じた。大隊副官村田中尉を軍使とし、随員中前軍曹、通訳金山軍曹(朝鮮出身者)、兵7名、軍犬1、を午前8時に出発させた。

随員の松木一等兵は後に軍使の父に当てた手紙が残っている。 以下に記す。

『みんなは無言、先頭は遊佐兵長の白旗。その後に整然と隊伍を組んで進む。色々なことが脳裏を去来した。荒貝沢入り口にが近づいた。そこまでの距離は実に近く感じた。酒屋があり、付近には民家がまばらにある。無論人影どころか犬1匹見えない。

前方の様子が分からない。停止した副官は眼鏡を撮りだしてみたいたが、右手の小高い丘には何も見えない。前進、30mほど進んで鉄道踏切に差し掛かった時、突然、その丘の上にソ連兵が姿を現し、軍使の停止を求めながら近寄ってきた。

分隊は踏切の上にいた。副官は白旗の遊佐兵長、中前軍曹、通訳の金山軍曹とともに前に進み出た。分隊との間隔10mほど。副官は通訳を通じて話している。指揮官との会見を求めたのであろう。私たちのところからは何も聞こえない。

軍使を取り囲むようにして、10mほど手前で一旦止まったソ連軍は、銃をそこに置けと要求、村田中尉の指示で一行は道路端に叉銃すると、同行している軍犬もそばの電柱に縛るよう要求、その指示に従った。こうして武装を解いた後ソ連軍が近づいてきた。

軍使の申し入れに対し、ソ連軍は受け入れる様子がなく、一人のソ連兵が銃を構えて立ち撃ちの姿勢をとった。副官は胸元の銃口を手で横に押しやって尚話をする。金山軍曹のが懸命の通訳をしていた。その時、先程のソ連兵が突然副官の体に銃口を向けるなり銃を乱射した。

「伏せろ」、誰かの声で、私は副官の倒れる姿を見ながら線路脇の排水溝に飛び込んだ。ソ連兵が最初の乱射と同時に駆け集まって、自動小銃を構えて一斉に撃ち始めた。

私は小銃をとって排水溝を30mほど走った。溝の横が小高くなっているので、ソ連兵の位置から死角になって気づかなかったのだろう。そして、更に走って小山に登り、防空壕を見つけて飛び込んだ。ところがどうだろう。現場から50mほどの壕内に逃げ遅れた住民が入っている。北の方から来た避難民であった。

銃声が止むのを待って「夜になったら部隊のいる方に逃げてくるように」言い残し、夢中で本部に向かって走った。

私は状況を報告した。仲川大隊長以下その時の顔を覚えていない。20分ほど遅れて遊佐兵長、太田上等兵が負傷し、血みどろになって帰ってきた。』

大隊長はこの時、初めて戦闘の腹を決めたのだろう。

仲川大隊長の報告を受けた連隊本部からは「衛戊勤務令11条、12条に基づき行動するように」と命令があったという。”自衛戦闘”のことをいう。

やがて、ソ連軍は豊真山道はもちろん、荒貝沢の両側の山からも一斉に前進してきたという報告が斥候や一線の各隊から報告が大隊本部に入った。時刻は20日正午一寸回った時だという。第1大隊は初めて戦闘の火ぶたを切ったのである。     『つづく』

ツルマンネングサ・・・・ [花]

甚だ勝手なお願いです、「終戦時の樺太」を記事として書いていますが、

スルーするのも、つまみ読みするのも結構ですが、

最初に但し書きしたように私の経験以外は金子俊男著「樺太終戦記録」とWabを

参考資料として書いていることを記しました。

コメント欄に「----」などと書くことをやめていただきたいと思います。

一兵卒が軍の全体の動きなど分かるわけがないはずです。

今日は我が家の花です。


 ◆ ツルマンネングサ。 (ベンケイソウ科マンネングサ属) 
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 ◆ リシマキア・ヌンムラリア。 (サクラソウ科) 
 別名:ヨウシュコナスビ。
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 ◆ グラジオラス・ビザンチヌス。 (アヤメ科グラジオラス属) 
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 ◆ 八代草。 (キキョウ科カンパニュラ属) 
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 ◆ エゾウスユキソウ。 (キク科ウスユキソウ属) 
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前記事の続き、終戦時の樺太


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◆ 歩兵25連隊の守備 Ⅱ

16日朝早くに連隊本部に到着した。名前は失念したが、通信中隊の見習士官が出迎えてくれた。夜寝ずの車での行軍でしたが、朝食後少し休んで、鉄道線路を手井方面に向けて分隊長と私、3人で1キロほど歩いた、線路脇に大きな穴があったので質問した。

敵機の爆弾の後だという。周囲は見たが、もしここでまた攻撃されたら逃げ場がない、悪いがここから引き返そうということになって引き返す。

次の日、敵の偵察機が機銃掃射の洗礼を受ける、召集兵だろうか、たこつぼに逃げた、上から見たら丸見えである。銃弾に当たって怪我をした。ま、怪我ですんで本当によかった。我々は走って林の中に隠れたので何事もなくすんだ。

暇でしようが無い何もやることがない、どうしよう・・・18日、分隊長が見習士官と相談、豊原の方向に向かって電話線路巡回をすることになった。昔は今と違ってケーブルではない、裸電線が碍子で腕木止まっている。電話線路巡回といっても20キロも先まで行くわけにも行かない。

帰りはばらばらになって、私は畑の中を歩いていた。20メートルくらい先から土煙が上がってこちら来ると同時に爆音、空を見上げたら敵の偵察機。私に向かって急降下しながらくる。その間2,3秒か銃弾は2メートル手前で止まった。

私は慌てて、銃を構えて撃ったが当たらず、敵機がきびしを返して上昇する。自動小銃だったらどうだったろうか・・・・敵機は敵兵の顔がよく分かるまで下がって来ていた。そしてこれは瞬間的な出来事であった。



ソ連による真岡市内への艦砲射撃

20日、朝早くソ連の艦隊から1発砲弾が撃ったといわれている。逢坂の我々のところまでその音が聞こえた。それは艦船からの空砲だという話もあるが、こちらから呼応して大隊砲を撃ったのが始まりという話があるが定かでない。最も真岡市内の背後の小高い岡に大隊砲1個分隊が駐屯していた。

敵艦の大砲と歩兵大隊砲とは月とすっぽん、敵艦まで届くわけがない。
その後はソ連軍がソ連艦船から港や市内に向かって艦砲射撃し、1個旅団のソ連兵が上陸、容赦なく撃ってきた。

北からの婦女子を避難輸送するため漁船がぎっしり岸壁に着き避難民の早い人は漁船に乗ろうとしている時だったとか、

その艦砲射撃で市内は焼け付くし犠牲になった真岡の住人は約500人に上ったと記録されている。

真岡郵便局の電話交換手がソ連軍が上陸して徹底的に銃の乱射であると連隊本部や師団本部に連絡、9名が青酸カリ自殺をしている。

第1大隊長は連隊長命令で一発も撃ってはならないと各隊命令、停戦の軍師を派遣することになった。

市内は焼け野原と化し、避難民が豊真山道を通って逃げ、私たちの前を通った人たちには乾パン1袋ずつ渡したが、約150人ほど通っただろうか。   『つづく』

ツボサンゴ・・・・ [花]

いつも花ばかりで申し訳ない・・・


 ◆ リシマキア・ブンクタータ。 (サクラソウ科リスマキア属) 
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 ◆ ツボサンゴ。 (ユキノシタ科ツボサンゴ属) 
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 ◆ カンパニュア。 
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前記事の続き、終戦時の樺太


◆ 歩 兵 2 5 連 隊 の 守 備 Ⅰ。 

樺 太 の 地 図

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7月末には第125連隊は国境及び北部両海岸(真縫~久春内以北)、その南を第25連隊、第306連隊を米軍上陸を警戒して展開した。

歩兵第25連隊は対米陣地構築のため、連隊本部、歩兵砲大隊を小沼に置き第1大隊を落合に、第2大隊を西能途呂岬(北海道稚内要塞司令官の指揮下)、第3大隊は留多香に、真岡には特設警備305中隊が警備に付いた。(この特設警備305中隊は15日に解散している。)

私たち通信中隊は初年兵と教育班を上敷香に残し、各大隊に配属された。第3大隊には私たち有線分隊を含む通信小隊(中川曹長小隊長)が配属され、私たち有線分隊は留多香郵便局の電話交換台1台を軍用にして交換業務を行った。


ソ連参戦で、連隊は真岡を中心とする守備についたのは、8月9日以降で、第1大隊主力が真岡に着き、小能途呂から真岡にかけての海岸線の背後に入り、連隊本部と歩兵砲大隊は逢坂に進出した12日であった。

しかも、第1大隊の第3中隊は恵須取に第125連隊の応援に急派され、第3大隊の第10中隊は上敷香の筑紫参謀の指揮下にはいり、1個連隊というものの、歩兵は約半数の兵員であった。

10日、本斗~野田に至る海岸線ソ連から防御するために重点配置をした。しかし、11日には国境方面の戦闘が思わしくないので第1大隊の一部を残し応援するようの師団命令。

しかし、その後またウラジオストックからソ連艦隊が北上中ということで先の命令を取り消し前任務に復帰するようにとの命令で慌ただしい命令変更のため右往左往したが、第1大隊は本部と主力を真岡・荒貝沢に、各中隊小隊を決められた場所に配置した。



第3大隊の私たちは、終戦の日15日にはこれで軍隊も解散かと思っていたが、解散命令が出ない。その日の夜9時過ぎに、私たち分隊(分隊長以下9名)だけが転進命令、弾薬を積んだトラック2台分乗し、連隊本部のある逢坂に・・・。

第25連隊本部の各大隊などへの通信連絡は殆ど電話連絡。逢坂郵便局の電話交換は局長の奥様が行っている。私たち分隊は何のために逢坂に転進したのか・・電話線の保守程度か。    『つづく』


駅前の花壇から・ブルーサルビア・・・・ [花]

一昨日函館駅に所用があって行ってきました。

真上の空を見れば青空だが、函館山、造船所などはガスがかかってよく見えなかった。

今日は駅前の花壇の花です。

家内を病院まで付き添っていきますので皆様のブログに伺うのは夕方になりますのでよろしくお願いします。


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 ◆ ブルーサルビア。 (シソ科サルビア属) 
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 ◆ サルビア・ホルミナム。 (シソ科サルビア属) 
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 ◆ コレオプシス。 (キク科コレオプシス属) 
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 ◆ ニチニチソウ。 (キョウチクトウ科ニチニチソウ属) 
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前記事の続き、終戦時の樺太。


◆ 私 の 軍 隊 生 活。

私は昭和20年3月10日、歩兵第25連隊通信中隊(日比中尉)に入隊する。

中隊は独立隊舎で廊下を中心に4部屋の隊員宿舎、廊下の先は玄関、その先には廊下が続き下士官の部屋その廊下の向かいが事務室。その先は将校の部屋、一番奥まったところが中隊長室であった。

廊下を挟んだ4部屋はその2部屋は無線担当、後の2部屋は有線担当。部屋の中は両側に2段、1段10人が寝ることができる。従って1部屋40人が定員である。この部屋の上が古参兵(上等兵と一等兵)、
下は新兵である。

一部屋を班として教育班長の指揮下に入る。日曜日以外新兵は教育班長(軍曹)と教育助手(上等兵)一個班として教育訓練を受ける。

一番辛らかった訓練は私は有線班の一員だったので、金属のリールに巻かれている通信線100メートル背中に背負って銃を持ちながら、もう一個のリールの電線を匍匐前進で100メートル延ばしていく訓練だった。この訓練をやると、必ず銃の木部に傷をつけてしまう。

訓練が終わって宿舎に戻り、銃の手入れをし、銃架に納める。そこまでがいいが、別の古年兵が点検する。その傷を見て、銃には御紋が打ち込まれているので、天皇の預かり物に傷をつけたということで、
廊下に全員立たされ、説教、態度が悪いということで向かい合って二列に並ばされ、お互いの前の兵にびんたを喰わせる指示、適当にやっていると、今度はたたき方が悪いといって、自分の皮のスリッパで顔をたたかれる。

こんなことが2度ほどあった。たたかれた兵は頬を腫らす、放って置くことができないので、みんなで冷やしてやる。昔の初年兵の軍隊生活の一端です。

毎日の訓練で飯はたらふく食べられるが、痩せていく。ある日班長が、練兵場で最近痩せてきているようなので、今日は昼寝をしようと一日草むらで昼寝をしたこともあった。

また連隊の初年兵の合同訓練で軽装で駆け足でツンドラの山登り(あまり高い山ではないが)、6キロあまりの距離、山を下って叉銃し昼食、帰りは早足行軍である。とうとう我々の中隊から一人心不全の犠牲者が出た。

6月になって大部分の古年兵が転属、多分第306連隊に転属したのだろう。と、同時に一年年下の初年兵が補充された。これで少しは楽ができるようになった。

一般の歩兵は3ヶ月で検閲後、一等兵に昇格するということをよく耳にしたが本当かどうかは分からない、しかし我らは6ヶ月で検閲という噂であった、その6ヶ月の前に25連隊の移動に伴い連隊の各大隊に分隊、あるいは小隊に分割、配属となる。     『つづく。』

横浜・八景島の紫陽花 [花]

暫く休んでしまいました。今日からまた再開します。


 ◆ ユキノシタ科アジサイ属。 
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今年は第2次大戦の終戦の日から70年になります。また同じような書いていきます。

 ◆ は じ め に。

昭和20年終戦から70年、私が経験したソ連との戦いについて毎年書いてきましたが、再度書いていきたいと思う。
『自分の経験以外は金子俊男著「樺太1945年」樺太終戦記録とWebなどから参考文献としている。』

「氷雪の門」のある北海道稚内の丘に立つと、鉛色の宗谷海峡の向こうに樺太が見える。その碑文には「人々はこの地から樺太に渡り、樺太からこの地に帰った。
戦後はその門がかたく閉ざされた。それから、十八年(建立は昭和38年)望郷の念やみがたく、多くの同胞の霊を慰めるべく、肉眼で樺太の見えるゆかりの丘に・・・」とある。

思えば昭和20年の夏の初めまで樺太は、本土決戦という悲壮感が日本中に覆っていた中で、唯一の平和な島であった。だが、その樺太の平和も、8月9日の朝、ソ連対日参戦によって、一方的に破られた。

当初、札幌の第5方面軍はソ連とは不可侵条約があるので、米軍の侵攻ばかりを想定していたようであった。

◆ 当時樺太に駐屯していた軍の状況。

ソ連との国境は「国境警備警察隊」が配備されていたが、やがてその後ろには第30国境警備隊が、国境からおよそ100キロほど南の上敷香に、歩兵第25連隊、歩兵125連隊を基幹とする樺太混成旅団が編成されていた。

昭和20年6月には豊原に歩兵第306連隊が追加され兵員20,200名とも、22,000名とも言われる第88師団(通称要兵団)が編成され、峰木中将が師団長なる。

師団隷下、第30国境警備隊、歩兵第25、第125、第306連隊、師団通信隊、第88山砲連隊、第88輜重連隊、第88工兵連隊だ。そしてその上部機関は札幌の第5方面軍であった。戦車はなし、空軍機は3機ほどあったが終戦と同時に北海道に引き上げた。     


◆ 樺 太 の 自 治。

昭和18年樺太庁は拓務省の管轄から内地に編入、北海道庁の傘下になった。鉄道は樺太庁鉄道。樺太東線(大泊~栄浜)、樺太西線(本斗~久春内)、豊真線(豊原~真岡)。 私鉄。樺太鉄道(落合~敷香)、南樺太鉄道(真場~留多香)は全部国鉄(鉄道省)に、敷香より北は国境より約10キロ南の街、古屯まで鉄道が敷かれた。  『つづく』

我が家の花その7 [花]

急用ができましたので、今日から1週間ほどこのブログお休みます。


なんだかんだと暇が無かったので今日も我が家の花です。



 ◆ ガザニア。 (キク科ガザニア属) 
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 ◆ ラナンキュラス。 (キンポウゲ科キンポウゲ属) 
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 ◆ ガーベラ。 (キク科ガーベラ属) 
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 ◆ オステオスペルマム。 (キク科オステオスペマム属) 
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 ◆ ジャーマンアイリス。 (アヤメ科アヤメ属) 
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 ◆ アイリス。 (アヤメ科アヤメ属) 
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タツタナデシコ・・・・・・・ [花]

今日は朝から雨模様、雨が降ると湿度が上がりますね。

温度があまり高くないので、それほどではないですが・・・・

今日はまた散歩がてらに撮った花です。


 ◆ タツタナデシコ。 (ナデシコ科ナデシコ属) 
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 ◆ アスパラガスの花。 (ユリ科アスパラガス属) 
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 ◆ セイヨウオダマキ。 (キンポウゲ科オダマキ属) 
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 ◆ アイリス。 (アヤメ科アヤメ属) 
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 ◆ ウマノアシガタ。 (キンポウゲ科キンポウゲ属) 
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我が家の花その6 [花]

またまた我が家の花その5です。


 ◆ アリウム・モーリー。 (ユリ科ネギ属) 
    別名:キバナノギョウザニンニクと呼ばれている。
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 ◆ クレマチス。 (キンポウゲ科センニンソウ属9 
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 ◆ シシリンチウム・カリフォルニアスカイ。 (アヤメ科シシリンチウム属) 
    別名:ニワゼキショウの一種
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 ◆ シラン。 (ラン科シラン属) 
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 白花。
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 ◆ ムラサキツユクサ。 ( ツユクサ科ムラサキツユクサ属) 
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 ◆ サクラソウ。 (サクラソウ科サクラソウ属) 
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フサスグリ・・・・・ [花]

今日は血圧が上がってようやく下がりましたので慌ててアップしています。

今日も前記事に続き、散歩がてらに撮った花の写真です。


 ◆ フサスグリ。 (スグリ科スグリ属) 
    別名:レッドカラント
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 ◆ アイリス。 (アヤメ科アヤメ属) 
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 ◆ ルピナス。 (マメ科ルピナス属) 
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 ◆ クレマチス。 (キンポウゲ科クレマチス属) 
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 ◆ キンポウゲ。 (キンポウゲ科キンポウゲ属) 
   別名:ウマノアシガタ。
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 ◆ ヒメエニシダ。 (マメ科エニシダ属) 
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 ◆ シャクヤク。 (ボタン科ボタン属) 
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アリウム・・・・・ [花]

天気予報では今日は午後から雨模様です。

少し雨が降ってくれないと農家が困るのではないか、余計な心配をしています。

今日は散歩がてらに撮った写真です。


 ◆ アリウム・アフラチェネンセ。 (ユリ科ネギ属) 
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 ◆ コデマリ。 (バラ科シモツケ属) 
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 ◆ ベニバナトチノキ。 (トチノキ科トチノキ属) 
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 ◆ サラサドウダン。 (ツツジ科ドウダンツツジ属) 
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 ◆ コンフリー。 (ムラサキ科シムフィツム属) 
     別名:ヒレハリソウ、漢方薬やコンフリー酒など。
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 ◆ シャスターデージー。 (キク科キク属) 
    ハマ菊とフランス菊の交配種
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 ◆ キングサリ。 (マメ科キングサリ属) 
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我が家の花その5 [花]

昨日朝早くに恵みの雨が降ったが、その後は晴れています。

今日はまた我が家の花5です。


 ◆ ミヤコワスレ。 (キク科ミヤマヨメナ属) 
    色の薄いのと濃いのがあります。
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 ◆ コキンバイザサ「ヒポクシス・アウレア」。 (コキンバイザサ科ヒポクシス属) 
    アッツザクラに花が似ているので俗にキバノアッツザクラと呼ばれている。
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 ◆ ヒメナデシコ。 (ナデシコ科ナデシコ属) 
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