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【樺太】樺太千島交換条約以前の歴史[Ⅱ]  [記事]

前記事の続き、樺太千島交換条約以前の歴史[Ⅱ]です。

この記事は【社団法人全国樺太連盟の「樺太Q&A」】よりお借りしそのまま載せています。

 
 この後、江戸幕府は、文政4年(1821年)には、日露間の緊張が幾分和らいで来た為、松前藩に

樺太を含む蝦夷地の支配権を返しますが、安政2年(1855年)までには、日露関係が再び緊張して

来た為、松前藩より、再度、同地の支配権を召し上げます。と言うのも、この前年とそれ以前の嘉

永6年(1853年)には、ロシアのロマノフ朝から通商等を求めた使節団が来日し、国家統治機関た

る幕府が、ロシアと直に樺太・千島に於ける同国との国境画定をも協議する必要があったからで

す。

市内東川町方面を望む。

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 一回目と二回目のロシア側使節団は、共に、プチャーチン提督によって率いられ、一回目は長崎

にて、二回目は下田にて、談判が行われました。日本側は、川路聖謨(かわじとしあきら)らを応

接役に任じ、この対応に当たらせました。これらの談判の結果、安政元年(1855年)に、日露和親

条約が締結されたのです。

 この条約により、千島列島に関しては、得撫島(うるっぷとう)以北の同列島北部が露領たる事

及び択捉島(えとろふとう)以南の同列島南部が邦領たる事が決せられましたが、樺太に関して

は、樺太島内には境を決めず是迄(これまで)の仕来り通りという事のみ合意されました(1, 2, 3,

4) 日露和親条約の締結された19世紀半ば辺りは、日本を含む東アジアにとっては、欧米諸国から

武力干渉等を受けた激動の時代でありました。その発端となったのが、1840年から1842年のアヘ

ン戦争です。中国の清朝は、この戦争で英国に敗れ、その領土まで奪い取られました。この後、清

朝の弱体化に目を付けた、ロシアのロマノフ朝は、1858年及び1860年に、清朝に?琿条約(あいぐ

んじょうやく)及び北京条約を締結させ、これらの条約により、樺太対岸の大陸地域である黒龍江

左岸及び沿海州を併合したのです。この様なロシアの膨張圧力は、日本に対しても強まり、安政6年

(1859年)には、ロシアのムラヴィヨフ総督が軍艦数隻を率いて品川に来航し、樺太の割譲を求め

ています。この時は、江戸幕府が、樺太の譲渡を拒否し、同総督は退去しますが、その後も、日本

側がロシアの膨張圧力に押され続ける状態が長引きました。我が国も、北方事情に詳しい岡本監輔

(おかもとけんすけ)等を樺太に派遣し、同地の防衛に努めましたが、慶応3年(1867年)には、

樺太に於ける国境画定交渉の為にロシアに派遣した小出秀実(こいでひでざね)らが、同国の軍事

力を背景とした交渉術に押し切られ、同国に樺太島仮規則という条約を締結させられます。  


オオセグロカミメ。

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  この条約により、樺太は、日露共同管理の島とされ、これによりロシアの樺太への進出速度は一

層加速されたのです(5)。ロシア側は、樺太を流刑地(るけいち)として扱い、同地に次々と囚人等

を送り込んで来ました。この様な状況下、我が国に於いては、明治維新による動乱等も発生し、明

治初期までには、樺太の支配状況はロシア側有利に傾きます。江戸幕府より国家統治を引き継いだ

明治政府も、岡本監輔に樺太統治を一任し、その後、開拓使及び樺太開拓使を設立します。日本側

の樺太行政は、これらの機関により管轄されたのです。開拓使及び樺太開拓使の管轄下に於いて

も、樺太統治を巡る日本側不利の状況は変わらず、この様な状況下、明治5年(1872年)には、日

本は、ロシアに対し、金銭により樺太を買い取りたい旨を伝えます。しかし、この交渉も不調に終

わり、我が国は、明治8年(1875年)には、もはやロシアからの樺太防衛は不可能と認識するに至

りました(6)。同年、我が国は、ロシアから促される形で、樺太千島交換条約を締結し、樺太は、不

毛の千島列島北部と交換という名の下、事実上、ロシアに併合されたのです。


オオセグロカモメ。

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(1) ロシアは、19世紀初頭以降に樺太の領有権を主張し始めましたが、17世紀には既に樺太に進出

していた日本が、長崎及び下田の両談判を通して、その主張の不当性を指摘しました。その結果、

樺太島内に関しては、「是迄(これまで)の仕来り通り」という事のみが合意されたのです。

(2)「是迄の仕来り」とは、少なくとも、「黒龍江河口(対岸の樺太北部)辺りまでを日本領である

として来た仕来り」の事です(ロ、ハ、ニ)。

(3) 日露双方は、「長崎談判以前に、日本人(和人及びアイヌ)が居住した樺太島内の地域は日本領

である」という認識は共有していました。よって、双方は、この認識を条約への付録という形で書

き起こす事に合意しました。

(4) ロシア側は、一旦、上記付録の添付に合意したものの、後になり、その削除を執拗に求めまし

た。これは、地名から樺太北端までアイヌが居住していた痕跡が窺える為です。つまり、同付録の

内容が、樺太島全体が日本領である事に相当するからです。日本側は、ロシア側の執拗な求めに応

じ、同付録の削除に合意しました。

(5) 樺太島仮規則により、樺太は初めて日露雑居の地とされました。この仮規則が結ばれる以前は、

ロシアも、少なくとも亜庭湾(あにわわん)一帯 [大泊一帯] が日本領である事を認めていました。

しかし、これにより、同一帯をも含む樺太全島が日露共同管理の島とされたのです。

(6) 樺太の支配状況を巡って、自国の形勢が悪化の一途を辿る中、我が国も、樺太防衛の為、ロシア

と粘り強く交渉を続けました。その結果、ロシアも、一時期、樺太放棄を考えましたが、明治政府

中枢にも樺太放棄論を唱える高官が存在する事を察知すると、その態度を硬化させました。その後

は、我が国が押し切られる形で、樺太千島交換条約が締結されたのです。

【参考文献及び参考箇所】
(イ)「樺太史の栞」(著・西鶴定嘉)‐P9及びP24
   ⇒寛永14年(西暦:1637年)に足香まで視察・検分との記載がある。足香(タライカ)とは現在の敷香一帯を指す。
(ロ)「幕臣川路聖謨の日記」(著・川越裕子)‐P.135
   ⇒「続・日本俘虜記、ロシア士官の見た徳川日本」徳武新太郎訳、講談社学術文庫p.24によれば、"サハリン島は南半だけが日本に属し、以北はシナの領域である"との記載がある。つまり、同記載は、ロシアの樺太に対する領有権を否定している。
(ハ)「長崎日記・下田日記」(著・川路聖謨,注釈・藤井貞文/川田貞夫)‐P160
   ⇒"黒龍江河口辺りまでが日本領であるが、ロシア領という根拠はない。よって、この現状を維持するべきである"という趣旨の川路聖謨の談判中に於ける発言が紹介されている。
(ニ)「樺太防衛の想い出」(著・鈴木康生)‐P55

【樺太】樺太千島交換条約以前の歴史を長々とした記事をお読み頂きありがとうございました。
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【樺太】樺太千島交換条約以前の歴史[Ⅰ] [記事]

「樺太」を知っていますか。私はこの樺太で生まれました。皆さんに樺太のことを詳しく知って頂

きたくこの記事を載せています。今日は樺太千島交換条約以前の樺太[Ⅰ]についての記事です。

この記事は【社団法人全国樺太連盟の「樺太Q&A」よりお借りしそのまま載せています。】 


 樺太先住民族の様子が歴史上比較的詳しく記録され始めるのは、13世紀から14世紀に掛けてで

す。これは、この頃、中国の元朝が、樺太先住民族を武力により屈服させ、彼らに元に朝貢する事

を認めさせた過程に於いて、その状況等を記録した為です。樺太島には、主に、三つの先住民族が

存在していました。概ね、同島の南部にはアイヌが居住し、その中東部の敷香(しすか)辺りには

ウィルタ(オロッコ)が居住し、その北西部にはニブフ(ニクブン、ギリヤーク)が居住していた

のです。尚、樺太に居住していたアイヌを北海道・千島に居住していたアイヌと区別して樺太アイ

ヌと呼称する場合がありますが、これら三つの地域に居住していたアイヌは同一民族です。

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 13世紀から14世紀に於ける中国の元朝期以降も、樺太先住民族と中国王朝の朝貢関係は、途切れ

ながら、その後の明朝期及び清朝期に於いても、継続されました。但し、この朝貢関係は、主に、

樺太先住民族側から中国王朝側に貢ぎ物が送られるという形式的なものであって、貿易的な要素も

含む君臣関係に過ぎないというのが実態でした。尚、樺太先住民族と中国王朝の朝貢関係は、19世

紀中旬以降に清朝が弱体化し、その統治範囲であった樺太対岸の大陸地域がロシアのロマノフ朝に

奪われた際に断絶しました。 中国歴代王朝の樺太島への形式的な支配が、主に、同島北部へ保たれ

ていた最中、17世紀には、松前藩が、樺太島南部の久春古丹(くしゅんこたん)=後の大泊(おお

どまり)=に漁業基地を造り、同島の開拓を始めます。尚、2000年程前までに成立していた日本の

前たる倭国は、その後、7世紀頃に国号を日本と改め、概ね、7世紀頃までに関東地方を、12世紀頃

までに東北地方の北端までを、その統治範囲の中に組み込みました。そして、樺太・千島及び北海

道に関しては、元禄13年(1700年)に、松前藩が、蝦夷地を自領の一部として描いた地図を江戸幕

府に提出した為、幕府は、この頃までには、樺太を含む蝦夷地を自身の統治範囲内であると認識す

る様になったのです。ここで、松前藩による樺太を巡る統治実態に触れるとすれば、同藩は、17世

紀前半には敷香辺りまで北上し、同地一帯の実地調査を行い(イ)18世紀中には、久春古丹の他に、

樺太南端に近い白主(しらぬし)にも漁業並びにアイヌとの交易を取り仕切る拠点を開設していま

した。


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 17世紀後半には、中国の清朝とロシアのロマノフ朝が、黒龍江周辺で勢力争いを展開し、その結

果、ロシア側がこの争いに敗れます。この争いで敗北を喫したロマノフ朝は、この後、清朝の勢力

圏を避ける様にして、カムチャツカ半島や千島列島北部を自身の勢力圏内に収め、18世紀後半から

19世紀前半までに、千島列島南部、北海道及び樺太に迂回南下して来たのです。

 ロシア勢力の蝦夷地侵入により北方防備の手薄さを痛感した江戸幕府は、天明5年(1785年)に

老中・田沼意次(たぬまおきつぐ)の統率の下、同地に調査団を派遣します。樺太に関しては、そ

の南部の様子が調査されました。しかし、その翌年、田沼が失脚すると、北方防備への関心は再び

希薄となり、ロシアの蝦夷地侵入が相次ぎます。このロシア侵入の様子は、松前藩から幕府に報告

される事はなく、幕府は、徐々に、松前藩の北方防備能力に疑問を呈し始めます。幕府は、独自に

蝦夷地の調査を行う為、寛政4年(1792年)には、最上徳内(もがみとくない)らを同地に派遣し

徳内らは樺太にも上陸します。この時、徳内らは、樺太西岸の久春内(くしゅんない)辺りまで北

上し実地調査の上、現地の様子を幕府に報告したのです。幕府は、その後も、樺太を含む独自の蝦

夷地調査を継続し、文化4年(西暦:1807年)には、松前藩より同地の支配権を取り上げ、樺太を

含む蝦夷地は幕府の直轄下に置かれる事となりました。

 江戸幕府は、文化5年(1808年)の春に、松田伝十郎(まつだでんじゅうろう)と間宮林蔵

(まみやりんぞう)を樺太調査に派遣します。この時、両名は、樺太北部までを見聞し、樺太が対

岸の大陸とは完全に離れた島である事を見極めます。それまでは、樺太は対岸の大陸と地続きの可

能性、つまり、樺太は対岸の大陸の半島の可能性もあると考えられていたのです。両名は、同年夏

に北海道の宗谷(そうや)に戻りましたが、その直後、林蔵は再び樺太に渡ります。樺太南部で越

年した林蔵は、翌年の文化6年(1809年)には、樺太北西部に居住するニブフの村に滞在し、現地

の村人と親睦を深めた結果、村長の大陸渡航に同行する事を許されたのです。村長の渡航目的は、

樺太対岸の大陸地域に設置された満州仮府と呼ばれる清朝の役所に貢ぎ物を届ける事でした。満州

仮府は、樺太を含む樺太対岸の大陸地域等を管轄する役所であり、林蔵は同府に於いて、清朝の役

人と会見した結果、樺太周辺の北方事情に関して様々な事を知らされます。そして、この大陸渡航

により、樺太と対岸の大陸の間に海峡がある事が明確に確認され、以後、林蔵は樺太が島である事

を発見した人物として歴史にその名を刻む事となったのです。尚、この年文化6年(1809年)に、

幕府は樺太の正式名称を北蝦夷地に決しました。[つづく]

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ランタナ・・・ [花]

熱帯植物園の続きで最後になります。

ネタの在庫もなくなりましたので暫くの間ブログを休みます。



 ◆ ランタナ。 (クマツヅラ科ランタナ属) 
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 ◆ ブーゲンビレア。(オシロイバナ科ブーゲンビレア属) 
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 ◆ ベロヘロネ。 (キツネノマゴ科ジャスティシア属) 
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 ◆ フクシア。 (アカバナ科フクシア属) 
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 ◆ キダチチョウセンアサガオ。 (ナス科チョウセンアサガオ属) 
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 ◆ ルリマツリ。 (イソマツ科ルリマツリ属) 
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ハナキリン・・・ [花]

昨日は雨が降らなかったが、今晩は雨の予報です

今日も熱帯植物園の花です。


 ◆ ハナキリン。 (トウダイグサ科ユーフォルビア属) 
  この花は年中咲いています。
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 ◆ ヘリオトロープ。 (ムラサキ科キダチルリンソウ属) 
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 ◆ アデニューム。 (キョウチクトウ科アデニューム属) 
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 ◆ ブルメリア。 (キョウチクトウ科ブルメリア属) 
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 ◆ アナナス。 (パイナップル科) 
   アナナスは種類が多くこの花はベーフデツツアナナスではないと思う。
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ハイビスカス・・・ [花]

最近また天候不順が続くようですね。

今日も熱帯植物園からです。



 ◆ ハイビスカス。 (アオイ科フヨウ属) 
    館内に入って一番先に目に付くのがこの花です。
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 ◆ ハカタカラクサ。 (ツユクサ科シマフツユクサ属) 
  1センチも満たない花です。
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 ◆ キューバザクラ。 (トウダイグサ科ヤトロファ属) 
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セキセイインコ・・・ [鳥と花]

前記事の続き、熱帯植物園からです。

昨日は一日雨か小雨でした、



  セキセイインコ。
 面白いことにこの熱帯植物園では猿やインコを飼っています。
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  オカメインコ。
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 アプチロン。 アオイ科アプチロン属
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 コルジリネ。 リュウゼツラン科コルジリネ属
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ダイサギ・・・ [鳥]

昨日植物園に行ってきましたが、

帰りに松倉川河畔の道を歩いていると1羽の白鷺を見つけたので撮ってきました。

河口近くに鴨の種類で「カワアイサ」だろうか、たむろしていました。



  シラサギ。
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  カワアイサだろうか?
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 猿山に行ったら、お猿が日向ぼっこしていました。
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タグ:白鷺
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ベビー・サンローズ・・・ [花]

9日抗がん治療は相変わらず、熱は38.6度まであがり、一番辛いのは尿道痛。

治療の薬が膀胱内に入っているうちは、別にいたところはないが、

2時間過ぎてだした後からの尿がないのに催す。この激痛に悩まされました。

12月中頃検査です。1ヶ月過ぎの検査では多分大丈夫、もうそれは経験済みで、

来年2月頃また検査をしたいと思っています。



ベビー・サンローズ。
    葉は多肉種で3センチほどの花が咲きます。
                 別名:ハナツルソウとも言われています。
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ヤマツツジ。
     まだ咲いている木があります、
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アジサイの種類だとおいます。
   この木も真っ盛り蕾もあります。花名不詳です。
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スプレー菊。
    俗に言う小菊ですね。
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ツワブキ。
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風車菊。
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食用菊。
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イヌホオズキ・・・ [花と実]

中三日休んでしまいました。

予報によると今日は雨の日のようです。明日は最後のがん治療、あまり熱が出ないで欲しい。

今日は先月7日と22日にこのブログにアップした花を再度アップしました。




 ◆ イヌホオズキ (ナス科ナス属) 
  いよいよこの実が黒くなりましたので、再度花からアップします。
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 ◆ ヨウシュヤマゴボウ (ヤマゴボウ科ヤマゴボウ属) 
   これも全体像から実が黒くなるまで。
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 アスパラガスの実も真っ赤になりました。
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 マサキの実です。この実はこれから皮がはじけていきます。
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ブルーデージー・・・ [花と実]

前回はその日のうちにお伺いができず大変失礼しました。

毎週1回膀胱がんの治療をしてい来週月曜で終わります。

イムノブダー膀注(BCG[結核菌の毒力を弱めた製剤])を生理食塩水で希釈して膀胱内に注入。

このワクチン自体抗がん効果がないものの、

膀胱内で炎症を起こ引き起こして膀胱の免疫細胞に刺激を与えて、

がん細胞を死滅させる効果があるそうです。

一般に再発リスクの高い患者に使用され80~90%のがん細胞が消滅すると言われています。

効果のあるのは、膀胱内の上皮がんだそうです。

私はだんだんと副作用が出てきました。排尿痛、頻尿、発熱、血尿などで

2時間膀胱内に入れている間はなんの症状も出ませんが、排出した後、

膀胱内には尿が殆どないのに排尿の気分になるが、我慢ができずたらたらとでる排尿時の激痛、

それに頻尿の気分、時々血尿、前回は体温38,4度、昨日は、39度、

1昨日はとうとう鎮痛解熱剤を飲んでしまいました。来週はどうなることやら・・・

ちなみに私は腫瘍(がん)を内視鏡で全部取った後6ヶ月で再発また全部取りました。



 ◆ ブルーデージー。 (キク科ルリヒナギク属) 
    咲き残っていた花です。
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 ◆ アネモネ。 (キンポウゲ科イチリンソウ属) 
    この花は我が家の鉢植えで、現在咲いています。
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 ◆ ヒメフウロ。 (フウロソウ科フウロソウ属) 
    別名:塩焼き草。
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 ◆ ノイバラの実。 (バラ科バラ属) 
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 ◆ ウメモドキの実。 (モチノキ科モチノキ属) 
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次回、6日は都合によりお休みします。


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ナナカマド・・・ [花と果実]

天気予報によると今週も晴れたり曇ったり、或いは曇りの日が多い。

今日、月曜、私は抗がん剤治療の日、先週は熱が出て、ひどかった、

今回はあまり辛いようでしたら皆様のブログにたどり着けないかも知れません。

その節はあしからずご容赦ください。



◆ 前記事の笹流ダムの帰りにバス停で待つ間、撮った写真です。

◆ 街路樹のナナカマド。
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◆ 渋柿か?
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◆ キ ク。
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◆ シバザクラ。
    今も咲いていたのでびっくり。  
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