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函館港船溜まりから [風景]

一昨日夜中から降り出した雪が昨日の朝見たら7センチほど積もっていました。

昨日は2度も除雪、もう完全な根雪だと思います。

今日は函館港の船溜まりからです。そして、今年は今日でブログ更新を終わりにしたいと思います。

来年もおつき合いのほどよろしくお願いします。皆様どうぞよいお年をお迎えください。



 ◆ 船溜まりの岸壁に係留されていた官庁の船や船溜まりから見た函館どつくなど。 

 ◆ 巡視艇「ゆきぐも」
出力:5200㏋,36ノット、ウォータージェット推進2基。遠隔操作型多銃身12,5ミリ機銃。IMG_2745.jpg

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 ◆ 元青函連絡船「摩周丸」
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 ◆  北海道教育委員会所属水産高校練習船「若竹丸」
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 ◆ 同「北鳳丸」
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 ◆ 遠くの白い建物、中央埠頭にある税関、海上保安庁などの合同庁舎
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 ◆ 函館どつく
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五稜郭駅と函館駅 [風景]

昨日、夜になってとうとう行く降りだし積もってきました。

最近、野暮用でブログの材料ゲットする暇はなくてご無沙汰しています。

今日は五稜郭駅と函館駅前を撮った繋ぎのない写真です。




 
 ◆ 新青森駅から特急列車が・・・ 
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 五稜郭駅構内での新札幌ターミナル行きの貨物列車が出発を待っています。
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 後ろの線路には東京方面から牽引してきた貨物れっしゃら切り離された電気機関車が、機関區に行く司令を待っているところです。
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 ◆ 函館駅前。 
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 前駅の記念碑。
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その横にある郵便ポスト。
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新函館北斗駅 その2 [風景]

昨日は膀胱がんの経過観察でOKがでました、次回の経過観察は来年3月です。

イムノブター膀注(BCG)の時は辛かったが、まだ経過を見ないと結果が出ません。

前回の続き、新函館北斗駅 その2です。



 五稜郭駅から普通列車に乗って無人駅渡島大野駅のホームに降りたら新しいホームであった。
 その駅、新函館北斗駅の中に入るには一カ所の開いたところがあり入ると急な階段あった。
 その階段を上り2階の仕切られた通路を通り次の階段を降りたら、駅の玄関、そこにはエスカ レーターがありそこには写真のようなことが書かれていた。新しい駅の改札口は2階ということが分かった、考えてみればこの建物の中の地上新幹線のレールが敷かれているわけだ。
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 先日の従来の道路の跨線橋の上から撮った写真です。新しいホームが分かります。
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 昨日アップした札幌方面に伸びる新幹線用の道床を写真をトリミングしてホームを撮ろうとしましたがここまで。
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 さて帰る列車の時間が来たのでホームに出ました。
 上が大沼方面へのホーム、2枚目は函館方面のホームで左に見える階段は北口に出る階段ホール
です。
 大沼方面のホームは函館ライナー(15分電車)、新幹線の乗客の乗り降りの連絡電車も止まります。
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 札幌から来た特急通過していきました。
 今までは札幌方面に行く特急はこのレールを使っていません。隣の七飯駅から別ルートで札幌方面に向かっています。それは急激な登りで現在の普通列車は隣の駅まで30~35キロより速度が出ません。貨物列車と特急の下り列車は七飯駅から別ルートです現在は。
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 この駅の七飯駅よりには新幹線列車用の変電所や終点の設備が、工場のように並んでいます。
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◆ 次回は26日になると思います。
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新函館北斗駅 [記事]

昨日天気がよかったので渡島大野にできた新しい駅を見るに行ってきました。

写真を見ると線路が高架ののように見えますが。一般の鉄道と同じく地上です。



 駅舎の正面。
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 駅舎の全体。
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 駅を背にしてみれば、野原と同じに見える。
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 線路の直線上の山の中腹を札幌行きの新幹線用のトンネルを掘っています。
 真ん中の黒い部分が村山トンネルです。

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 私の立っている場所は既設の列車のレールの陸橋。札幌への新幹線はその中腹の高さです
この陸橋はどうなるのだろう。

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 次回に続く。

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マサキの種子・・・・ [樹木]

今年は雪が少ないようでいいような、悪いような。これからどっさりと降るかも。

今日は樹木の種子です。




 マサキの種子です。ニシキギ科ニシキギ属。果実は球形で、4裂し、橙赤色の仮種皮に包まれた種子が現れる。大体、11月成熟する。
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 ムクゲの種子がまだはじき出されず残っていました。
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 ホオズキ
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 ヒノキ球果は径1センチ、10月以降に赤褐色に熟す。ヒノキ科のチャビヒバやオオゴンクジャクヒバなど多くの園芸品種がある。
 球果は径1センチ、10月には赤褐色に熟する
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 シラカンバタケカンバ或いはヤナギ
 シラカンバは果穂は下を向く、葉が落ちてしまったのでどちらかよく分からず。
 枝が垂れ下がっているのでヤナギかよく分からず。
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シベリア抑留ーロシア国家犯罪だ [記事]

 一昨日はまれに見るよい天気だったが昨日は小雨交じりの天気だったでとうとう出歩くことができなかった。、

 やむを得ずまた、シベリア抑留の記事となった。今日は「別冊正論」の中で書いている、長瀬了治氏(抑留問題研究者・翻訳家)の「シベリア抑留ーロシア国家犯罪の検証」の一部を掻い摘まんで載せました。

 敗戦から70年となった平成27年、ロシアは5年前に「第2次世界大戦終結記念日」と定めた事実上の対日戦勝記念日である9月2日に記念式典や軍事パレードを行い、プーチン大統領は中国の習近平主席が主催する「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」記念式典向かう途中、東シベリアのチタ市で「戦争犠牲者」の記念碑に献花した。樺太と千島列島及び北方領土を不法に占拠した事実を覆い隠し、実効支配を誇示する狙いだろう。

 スターリンはヤルタ会談で、ドイツ降伏後に参戦の約束し、見返りに樺太、千島列島など貢ぐよう約束させた。そして、ドイツ国民の資産撤去、ドイツの労働力の使用を賠償を明記させた。しかし、日本はドイツと違って一方的に侵攻された側で「賠償」を取られる理由がない。

 スターリンはすでにドイツ人を初め枢軸国側の捕虜を300万人以上、国内に連行し使役し味をしめた。昭和20年8月末から翌春にかけて60万人以上の軍民がシベリア、モンゴルに移送され長期間抑留した。「いわゆる「シベリア抑留」である。

 私たちは真岡より対岸の北方ワニノの港にその日の夜停泊、翌日朝に上陸、午前10時頃より薪を焚いた小さな蒸気機関車でのっこらのっこらと北上する。途中正午に500名を降ろし、夕方4時過ぎに到着した。

 冬はマイナス30度まで夜、昼なく働かされ、食事は黒パン、300グラムに雑穀のかゆ、中身のないスープが一日の食事だった。栄養失調に余病がついて死亡するものが殆ど。よく帰ってこられたものだ。

 スターリンは独ソ戦で荒廃した国民経済を復興するために労働力として使役するのが目的だったと思う。

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ソ連の悪行そして、現在のロシア、千島四島を返すか [記事]

またまた、ソ連の非道を書きたいと思う。そもそもマルクス、エンゲルスが唱えた共産主義、つまりマルクス主義は「階級のない平等な社会」「個人の自由な発展」という永遠の理想を追求した。

スターリンは歪曲してその実現のために階級闘争史観、暴力革命論、プロレタリア独裁論、唯物史観といったイデオロギーで武装した。

ソ連は理想を目指すといいながら、その実態は一切の批判、異論を許さない共産党一党独裁国家であった。反対派、異論者は容赦なく弾圧された。

話が変わるが、以前北海道新聞に「世界と日本409」の「シベリア抑留」という題名で、約2ページにわたって抑留のことが掲載されていた。

私もこの抑留された一人として感無量で読んだ。以下はその「道新」に前全国抑留者補償協議会事務局長有光健さんの記事が載っていたので掻い摘んで引用した。

日本の敗戦を目前にした1945年8月9日、ソ連軍は旧満州や朝鮮半島北部に侵攻し、支配下に置いた。独裁者スターリンは同月23日、自国復興に必要な労働力として、約60万人もの日本人捕虜の強制連行を命じた。シベリア抑留は戦争終了後に起きたのだ。

抑留先はシベリアだけでなくモンゴル、中央アジアなど2千カ所以上の収容所だった。抑留者は厳しいノルマを課せられた上で森林伐採や鉄道建設、水道敷設、鉱山作業などの重労働をさせられた。

寒さと飢えと過酷な労働「シベリア三重苦」で抑留者の約1割に当たる6万人以上が亡くなったと見られるが、正確な犠牲者は現在も分かっていない。

シベリア抑留は、捕虜の権利や早期帰国を規定したジュネーブ条約やポツダム宣言に違反する大規模かつ組織的な拉致事件だった。  

国の謝罪がおろか強制労働に対する賃金も全く支払われないまま戦後65年の2010年6月、国会がシベリア抑留問題を放置してきた責任を認め、「シベリア特措法」成立、即日施行させた。 

道新によると、亡くなった人は多い順からハバロフスク地方:11091人、そして私の居た沿海地方:7656人、次はチタ州:7346人、イルクーツク州:5356人と続き元ソ連全土に広がっている。

国が1956年10月、日ソ共同宣言に調印、補償請求権を相互放棄している。全く世界一外交べたの国、日本。 未だに北方領土(北方四島}が返ってこない、いや多分もう返らないだろう。

蛇足だが、私のいた収容所である日夜中に一人で収容所の下にあるパン工場にパン泥棒に入り発砲騒ぎまで起きた、夜中にパンなどあるわけがない。これで彼は裁判にかけられたのだろう収容所から消えた。また、一人は夜逃げをしたがとうとう帰ってこない。のたれ死にしたか,逮捕されたか・・・。

収容所に入って丸1年間は鉄道の砂利入れ、夜に砂利を積んだ列車が入ると叩き起こされ、砂利降ろし、日中はその砂利を枕木の下に入れていく。寝ている暇もない。なにしろ、この鉄道は道床に枕木及び線路が引いて薪を焚いた小さな蒸気機関車が、のっこらのっらと走っていた線路。身丈に合わない砂利を積んだ大きな貨車はアメリカ製、レールはカナダ製だった。

腹が減ってしようがない。蝮獲りの上手なのものがいて、口から裂くと皮が剥がれる、それを昼休みに焼いて食べたものだ。これが一番のご馳走だった。

またまた話が変わるが、先日、Google のストリートビューで樺太(サハリン)中を歩いた。我が家のあった土地はどうなっているのか一寸探してみた。なんと、一面雑草地。道路沿いには家がない。鉄道線路もない。

これがその写真です。見るに堪えない。

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とりとめのないことが長々と書いてしまった。申し訳ない。


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五稜郭タワー・アトリウム [風景]

一昨日は雨、昨日は午前中小雨、午後は雨が止んだが、いつ降ってもおかしくない天気でした。

今日は五稜郭タワー・アトリウム内の写真です。



 アトリウム内にあったアンスリウムの鉢植え
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 舞台側壁の照明
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 アトリウム内。
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 エレベーター横のケース内にある船の模型
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今日はYouTubeからちっと拝借。




























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史跡・五稜郭 [夜景]

一昨日の夜、五稜郭に行ってきました。濠の水は薄氷が張っていました。

下手な写真ですがご覧ください。



 五稜郭タワーのアトリウム内です。

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 最上階から撮った五稜郭。(低かったのか、後ろの方の照明が切れてしまいました)

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 下から見た五稜郭タワー。

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 濠の照明です。
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夜景 [夜景]

一昨日も夜中に雪が降り昨日の朝は雪かきであを流す。

暫く出歩くことがなかったので先日、夜に出かけました。

今晩もまたでる予定でいます。



 海上自衛隊駐屯地の看板のそばになにやら影が・・
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 函館山頂上。
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 花 火。
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 基坂・・上の建物は旧函館区公会堂。
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 函館漁港から見た夜景
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 函館湾を行く船。
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 上の海上自衛隊駐屯地の看板に見える影は錨でした。
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タグ:函館夜景
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北海道留萌沖で樺太引き揚げ船ソ連潜水艦によって撃沈される [記事]

いよいよ雪の到来です

一昨日夜中から雪が降り出し昨日朝まで降っていました。生活道などは未だ全部溶けていません。

今日は大東亜戦争の終戦の年北海道留萌沖で樺太引き揚げ者の乗った船が

ソ連潜水艦に撃沈されたお話と、

私がソ連機に狙われ命拾いしたお話です。



◆ 逓信省海底ケーブル布設船、小笠原丸(1400屯)撃沈される。
 昭和20年8月20日乗組員60名、日引揚者1500名ほど乗せて樺太大泊から北海道稚内

に、約800名ほどが降り。列車の混雑で残りは小樽へ向かう途中増毛町別刈沖合で22日ソ連潜

水艦により攻撃され、撃沈させられ638名が死亡、生存者61名。

◆ 特設砲艦兼施設艦第2新興丸2500屯)大破。
 この船は軍部に徴用され、12吋砲2門、25㍉機関銃10基装備されていた。爆雷投射機搭載

宗谷海峡の機雷敷設の帰りに3600名を乗せ、乗組員て大泊から21日稚内に入港。鉄道混雑の

ため小樽に出航途中留萌沖で潜水艦魚雷攻撃を受け命中、潜水艦2隻が浮上攻撃されるが応戦、油

が浮いていたので1隻は沈没させたようだ。

この船は機関に異常がなかったので留萌港に入るが400名程が犠牲になる。

◆ 泰東丸沈没(887屯)。

同日、戦時国際法に則り白旗を掲げて航行中ソ連潜水艦によって撃沈され、まもなく近くを通った駆

逐艦が100名余りを救助しましたが667名が死亡する。


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◆1945年8月18日、私は命拾いのした日です。
 歩兵第88師団と歩兵第25連隊の通信方法は電話でした。隷下の第1大隊とは無線(ツート

ン)です。

 すでに17日にはソ連偵察機が連隊本部に機銃掃射を浴びせています、そのときは一名の負傷で

終わりました。

 翌日、分隊の4名が区分けをして鉄道線路沿いに電話線路の巡回に出かけたとき、鉄道線路から

暫くの間見えない区間がありやむなく私が電話線路の下を巡回していたときです。

 何も植えられていない畑を歩いていたときです、確か15mほど先から土煙がこちらに近づいて

くる・・・とその瞬間、爆音を耳にする・・はっと思い上を見たらソ連偵察機の急降下で機銃掃

射、この間1秒か2秒ほど。

 とっさに身を寄せたが、ちょうど1mほど手前で終わった。ソ連兵の顔が確認できるほど低空ま

で降下、踵を返す。自動小銃ならいざ知らず、私の小銃では話にならない。これは本当に一瞬の話

です。危なかった、よかった。

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尼港事件 [記事]

◆ 尼 港 事 件。


 私はこの事件の残虐性について樺太在住中に聞いていました。
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 尼港事件とは今から95年前の大正9年(1920年)ロシア極東アムール川(黒竜江)河口から20キロの地点の街、ニコライフスク・ナ・アモーレ(尼港)で起きた赤軍バルチザンによる軍人を含めた七百数十人の日本人居留民を含む約6000人の虐殺事件である。

 第1次世界大戦の最中、1917年3月に起きたロシア革命でロマノフ王朝が倒れ、資本主義を標榜する政権が成立したものの、わずか8ヶ月後の11月にレーニン率いるボルシュビキ政権(共産主義政権)に取って代わられた。

 だがあの広大な土地が無政府状態となり、中でもシベリアには多数の囚人がいるひどい状態で、それが凶悪犯罪者が脱獄し共産バルチザンとなった、共産党は積極的に武器弾薬や食料を与えたという。

 各国は自国民を守るためシベリア出兵するが、大正8年に欧州に近い側の治安に当たり、シベリアから撤兵してしまう。日本はやむなく第十二師団(約15,000名)シベリアに派兵する。こうして尼港には2個中隊260名を駐屯させた。

 1920年トリャピーツィンの指揮する約4000名の赤軍バルツザン部隊が尼港を包囲したのは1月末であった。彼らは包囲に当たってハバロフスクと尼港の通信線を切断し、無線より通信手段がなくなった。バルチザンは市内に侵入し、まず白系ロシア人と自衛ロシア兵をたった一晩のうちに約2500人があっという間に惨殺された。

 日本の副領事はこの暴挙に厳重抗議を行ったが抗議など受け入れるわけがなく、逆に日本部隊の武装解除を要求してきた。

 日本に急を知らせる電文を打つが、なにせ、真冬のこと救援したくてもできず。撤退するにも撤退できず、完全に孤立。やむを得ず戦闘開始するが多勢に少勢、瞬く間に700人の大半が殺された。赤軍バルチザンの中で最も残酷な行為を行ったのは、中国人と朝鮮人の兵士だったという。

 5月に入りアムール川の結氷も溶け、港を閉ざしていた流氷も去り、音信不通となっていた陸の孤島尼港もようやく救援の手が差しのべられるようになった。

 第14師団がアムール川沿いに、本土からも救出用の艦船が尼港目指して向かった。この動きを察知したバルチザンは脱出を決めその直前に生き残っていた市民に対し最後の殺戮したのである。

 尼港12000人の人口のうち少なくとも約半数が殺されたという。
  

 以下の残酷さをみてうまく逃げた海軍士官の手記がある。
 
 大正9年(1920年)大正9年4月20日付 「大阪毎日新聞」 海軍士官の手記(1)

  彼等過激派の行動は偶然の突発にあらずして、徹底的画策の下に実行されたものとす。すなわち左のごとし。

  第一段行動として、露国資産階級の根本的壊滅に着手し、所在資本階級者の家屋を包囲し、資産の全部を公然と略奪したる後、老幼男女問わず家人ことごとくを家屋内に押しこめ、外部より各出口を厳重に閉塞し、これに放火し、容赦なく火中に鏖殺し尽くしたり。
 
  第二段の行動として、親日的知識階級に属する官公吏と私人とを問わず、容赦なく虐殺、奪掠、強姦など不法の極を尽くし、第三段行動として獰猛なる彼らの毒牙は着々我が同胞日本人に及びたるなり。
 
  ここにこれが実例を指摘せんとするに当り、惨虐なる暴戻ほとんど言うに忍びざるものあり、敢えてこれを書く所以のもの、すなわち犠牲者の尊き亡霊が全世界上、人道正義のため公言するものなり。深くこれを諒せよ。
 
  公然万衆の面前において暴徒悪漢群がり、同胞婦人を極端に辱かしめて獣欲を満し、なほ飽く処を知らず指を切り、腕を放ち、足を絶ち、かくて五体をバラバラに斬りきざむなど言外の屈辱を与え、残酷なる弄り殺しをなせり。
 
  またはなはだしきに至っては馬匹二頭を並べ、同胞男女の嫌ひなく両足を彼此の馬鞍に堅く結び付け、馬に一鞭を与えるや、両馬の逸奔すると同時に悲しむべし、同胞は見る見る五体八つ裂きとなり、至悲至惨の最後を遂ぐるを見て、
 
  悪魔は手を挙げ声を放ちて冷笑悪罵を浴びせ、群鬼歓呼してこれに和するに至っては、野獣にもあるまじき凶悪の蛮行にして言語に絶す。世界人類の公敵として天下誰か、これを許すものぞ、いはんや建国以来の民族血族においてをや。【以上】


 尼港事件の賠償保証として北樺太を日本兵は残留しがた。大正14年(1925年)日ソ基本条約結ばれるまで、5年間続いた。犠牲者の賠償金は拒否したが北樺太の石油利権を一部与えるということで双方合意した。しかしその後ソ連はさまざまな口実を設けて条約の履行をしない。いつしか日本にとって殆ど実利のない有名無実となってしまった。

 ヒトラーのナチスドイツとスターリンのソ連を、ともに独裁者の支配する全体主義国家として同一視するのは全くの間違いである。ヒトラーとスターリンには決定的な違いがある。ヒトラーは自国民には対する迫害がなかったが、スターリンは共産主義は「階級闘争」というそれまで誰も考えつかなかった魔法の杖を編み出した。その魔法の杖を振り回して

、「階級の敵」という言葉を用いて自国の国民を片っ端から殺戮していった。一説によれば独ソ戦で失った人口(推定2500万)に匹敵する人口を、革命後の内部粛清で抹殺していったとも言われている。(2)

参考文献
(1)は白柳秀湖著』は【皇軍の戦史】
(2)は東京国際大学教授の福井雄三先生。「別冊正論」赤軍の大規模虐殺と樺太全島回復、尼港事件が現在に投げかける教訓



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日露戦争 [記事]

今日は日露戦争についてです。

 日露戦争は学校で学習しご存じの通り、1904年2月から1905年9月まで日本とロシアが戦った戦

争です。

 日清戦争に勝利した日本は下関条約を結び、多額の賠償金と遼東半島を譲り受けました。この土

地は、当時アジア進出を目論んでいた日本にとって清から譲り受けた戦略的に重要な場所でした。

 しかし、清の広大な土地を狙っているのは、何も日本だけではありません。イギリス、ドイツ、

ロシア、フランスアメリカ、イタリアなど・・・。特にロシアは南下政策をとっていましたか

ら、日本に遼東半島をとられるのを快く思わず、ロシアはドイツとフランスを誘って日本に「遼東

半島を清に返せ!」と、三国干渉してきました。しかし、国力の弱さから、日本はこの要求通り泣

く泣く遼東半島を清に返します。


函館山。 IMG_6098.jpg


 その後、清は欧米列強国に次々と侵略を許すことになります。清が日本に負けたことにより、そ

こで、各国が競うようにして中国進出を加速します。ロシアは日本から返させた遼東半島の一部を

租借し、ドイツ、イギリス、フランスも各地域を租借する。

 そんな状態の清で義和団(ぎわだん)といわれる宗教団体が立ち上がります。「中国から外国

勢力を追い払おう」と属に言う義和団事件が起きます。清は、ひそかにこの運動を後押し、そして

1900年には遂に清の実質的指導者であった西太后(せいたいごう・女性)も正式に義和団を支持す

ることに決め各国に宣戦布告しました。


ススキ。 IMG_7342.jpg


 これに日本、ロシアを含む8カ国は共同出兵し鎮圧。結局、清はこれまでよりも更に過酷な条件の

北京議定書を受け入れる羽目になり、中国の半植民地化はさらに速度を増していくことになりま

す。

 ロシアはこの事件後、他国が中国から兵を引き上げる中、逆に部隊を増強し満州に留め、事実上

占領。南下政策を推し進めようという動きを見せていました。

 満州の南には朝鮮(大韓帝国)があり、そのすぐ隣には日本・・・。日本は朝鮮半島を防衛の生

命線と考えていました。その朝鮮にもロシアの影響力が強まりつつある・・・。

 しかし、幸いなことに、このロシアの勢力拡大を嫌っていた国、世界最強とも言われるイギリス

です。そのイギリスと日英同盟を結びます。イギリスも清に多くの租借地を持っていましたから、

この権益がロシアに侵されるのを嫌っていたのです。

 
ナナカマドの実。 IMG_7323.jpg


  日英同盟の内容を知ったロシアは、兵力を引き上げると約束するのですが、1回引き上げただけ

で、2回目以降は、この約束を無視する。それでも、日本はそれなら、満州はロシアの権利を認める

から、韓国の支配は日本に認めさせよと提案するが結局これも決裂!南下政策続行の動きを続ける

ロシアを危険とみなした日本は遂にロシアとの戦争を決意するのです。

 遼東半島は 日清戦争にて日本に割譲されたが遼東半島は三国干渉により領有を断念。その後、こ

の遼東半島の一部(旅順・大連)をロシアが租借(一定期間借り入れ)事実上、ロシアの軍事基地

となっていく。

 日露戦争開戦後は、この遼東半島の旅順にて日本とロシアが激しく争うことになる。 軍事的に勝

利を得た日本でしたが、すでに戦費がかさみ過ぎ、戦う余力はなく。そこで、日本はアメリカに講

和の斡旋を依頼します。

 しかし、日本とロシアの戦争になぜ、そこにアメリカが介入してきたのでしょうか?

 アメリカにもある思惑があったようです。このポーツマス条約の斡旋を引き受ける代わりに、ア

メリカは日本にフィリピンの支配を認めてもらおうと考えていました。また、ロシアによる満州支

配も警戒していたアメリカは出来る限り、日本とロシアの軍事力が拮抗していることが望ましかっ

たようです。

 そして、1905年8月10日。アメリカのポーツマスにて日本とロシアの講和会議が始まります。当

初の日本側の要求は、樺太(樺太は7月31日に日本が占拠していた)の日本への割譲や賠償金の支払

い、日本による韓国支配。旅順、大連の日本への割譲でした。しかし、ロシア側、強硬姿勢を崩さ

ず、交渉はうまくはいきません。


マルメロの実。 IMG_7345.jpg


 8月18日に行われた会議では、ロシア側が「賠償金の支払いはなし。でも、樺太は北と南で分け

て半分日本に。」という提案をしてきますが、これでは日本が納得いかない。

 8月23日の会議で日本は、「樺太は半分でもいい。12億くら賠償金を払い。」と妥協を見せる

が、ロシアは「賠償金は払わない」とまたもや交渉は難航。

 とはいえ、日本もこのまま交渉決裂でもして、戦争継続などになってしまっては、弾薬も兵力も

お金も残っていない。逆にロシアも政府への不満や民衆の生活苦などから国内情勢は悪化してい

て、こちらも戦争を続けることは望ましくはありませんでした。

 そして、9月5日には双方の妥協案が成立してポーツマス条約が結ばれることになるのですが、結

局、日本は南樺太の割譲や大連、旅順の割譲、日本による韓国における優越権などを得ることはで

きましたが、肝心の賠償金はあきらめる形となりました。

 このポーツマス条約の内容により、日本の民衆は不満を爆発させ、日比谷焼き討ち事件などが起

きることになります。【おわり】

タグ:日露戦争
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