So-net無料ブログ作成
検索選択

キ ク・・・ [花]

昨日は日中薄曇り&晴れ午後になって曇りになったちょっと湿度が高い。

前記事の続きです。




 ◆ きく。(キク科キク属) 
 食用菊のようですがよく分かりません。
IMG_3522.jpg

IMG_3530.jpg





 ◆ へレニウム。 (キク科へレニウム属) 
 この花も種類が多いようで多年草から一年草まであるようでこの花は一年草。
 へレニウム・ダコダゴールド。
IMG_3114.jpg

IMG_3494.jpg





 ◆ シュウメイギク。 キンポウゲ科イチリンソウ属) 
 今日の花は八重咲き品種。
IMG_3523.jpg





 ◆ ホオズキ。 (ナス科ホオズキ属) 
IMG_3520.jpg





 ◆ オンコの実。 イチイ科イチイ属) 
IMG_3537.jpg





 ◆ ナツシロギク。 (キク科ヨモギギク属) 
 わが家の花ですが間違えたのか最近になって咲いています。
IMG_3540.jpg

nice!(204)  コメント(19)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

ノブドウ・・・ [花]

新聞に目を通すと求人広告がまた載るようになってきました。

いくらか景気が良くなったのかな・・

今日は昨日カメラ持参でちょっと歩いた。

また同じような花です。


 ◆ ノブドウ。 (ブドウ科ブドウ属) 
 野山に生えるつる性の落葉樹。ヤマブドウが食べられるがノブブドウは食べられない。
IMG_3501.jpg




 ◆ ツユクサ。 (ツユクサ科ツユクサ属) 
 朝露を受けて咲き始めるが午後には花はしぼんでしまう。
IMG_3502.jpg




 ◆ シュウメイギク。 (キンポウゲ科イチリンソウ属) 
 菊の名前がついているがキク科ではない。
IMG_3505.jpg

IMG_3504.jpg




 ◆ ノウゼンカズラ。 (ノウゼンカズラ科ノウゼンカズラ属) 
 つる性の木本、夏から秋にかけて花が咲く。
IMG_3507.jpg




 ◆ ツリバナ。 (ニシキギ科ニシキギ属) 
IMG_3516.jpg

IMG_3515.jpg




 ◆ オキザリス。 (カタバミ科カタバミ属) 
 この花はわが家の鉢植え
IMG_6991.jpg

nice!(203)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

ヤブラン・・・・ [花]

昨日は雨が降らなかった、今日も予報では降らないらしい。

90の声を聞くようになって体が思うように行かない。



 ヤブラン。
IMG_3117.jpg

IMG_3496.jpg




 イキナケア。
IMG_3419.jpg

IMG_3420_1.jpg




 マツバギク。
IMG_3121.jpg




 シュウカイドウ。
IMG_3118.jpg

IMG_3492.jpg

nice!(219)  コメント(20)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

終 戦 Ⅺ [記事]

今年の北海道はは台風の当たり年です。台風被害2400億円超だそうでびっくりしました。

-北海道内、過去最大規模だそうで橋の崩落や道路土木施設被害が1101億円とか。

鉄道も未だ完全復旧していないので貨物は船で運ぶそうです。

今日は私たちの終戦は8月23日。



 武装解除。
 歩兵第25連隊の停戦は8月23日です。第1大隊の兵士たちが夕方に集合できたので遅くなりました。
 
 ヤルタ会談ではソ連のスターリン、イギリスのチャーチル、米国のルーズベルトが戦後処理について話し合い、トルーマンはスターリンに南樺太、千島列島をソ連領とすることで参戦を促した。しかし、スターリンは満州の鉄道、大連国有化、北海道の北半分(留萌ー釧路)を要求した。しかし、ルーズベルトは認めなかった。

 ポツダム宣言にはルーズベルト、チャーチル、中国の蒋介石での「無条件降伏」を宣言した。しかし、ソ連はこのポツダム宣言にはスターリンは署名していません。

 
 翌24日豊原に向け出発途中野宿して、25日に到着した。宿舎は師範学校寄宿舎。賄いは日本人ですのでここで3名ほど逃げています。

 ここに1週間ほどいたと思っていましたが、列車でまだ真岡に逆戻り、しかし機関車2重連で引っ張りましたが引っ張りきれず、また、豊原に逆戻り、駅構内で一晩野宿、今度は機関車前後ろに1台ずつで引っ張り、ようやく真岡の手前の樺太西線の接続地点の手井駅で降り、何カ所かに分かれて1週間ほど毎日真岡市内の焼け跡整理をして、日本に返すと嘘の説明。

 毎日港にには日本人かソ連人か水ぶくれになって5体ほど浮かんでいるところを通った。

 話が前後になるが、真岡に戻る途中の駅で機関士がこの次のトンネルの中で列車を止めるから逃げたいものは逃げろと話してくれた。

 
長い間くだらない記事を読んでいただき有り難うございました。



  サンビダリア
IMG_3396.jpg



 リスマキア。
IMG_3415.jpg



 アメリカアジサイ(アナベル)
IMG_3411.jpg



 エキナケア。
IMG_3419.jpg

nice!(211)  コメント(11)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

終 戦 Ⅹ [記事]

8日も午後から時々雨、よくまあ、雨が降りますね。

終戦Ⅹです。またまた軍使が射殺される。


 連隊から軍使を出すがまた射殺される。
 熊笹峠の戦闘が混乱している22日夕刻第88師団司令部より「例え捕虜となるも即時停戦せよ」との命令。玉砕を覚悟していた山沢25連隊長はロシア語の分かる村山主計中尉を派遣する一方、熊笹峠の第1大隊に伝えるため連隊付き宮下安一大尉ををだした。

 しかし、宮下大尉は途中で軍使の村山主計中尉の遺体を確認した、なお進んで高地に兵が集結していた菅原大隊長に連隊の命令を伝えることができた。

 その村山軍使は22日午後8時軍使としての命を受け部下4名と武装せず大きい敷布の白旗をトラックに掲げ同20分に出発した。
 宮下大尉は午後10時頃逢坂の近くで銃創を受けた1名の兵士に出会う。その兵士は村山軍使に従って行った兵士で、軍使はまた射殺され状況を報告のため戻る途中であった。

 村山軍使以下は逢坂の西約4キロの豊真山道のカーブの地点でソ連軍の1個小隊ほどと合い、トラックを停止させ「武器を捨てろ」と手まねし、武器を持っていないので、下車を命じ整列した5名を右から自動小銃で不意に撃ったという。左にいたその兵士は頭に弾丸を受け倒れるふりをして谷に落ち込んで脱出した。
 
 石黒連隊副官は「村山中尉ら3名は射殺され2名が助かった。そのうちの1名はソ連軍のメモを持ってきた。それによると「午前0時、ラッパを吹かせながら連隊長自ら峠に向かってくるように」と合った。山沢連隊長は石黒副官を先頭に通訳と道路上に自動小銃の間をくぐってソ連軍の指揮官らしい中佐に会った。そして23日午前2時戦闘中止を確認、ソ連軍とともに逢坂に引き返し同7時集結中の部隊の武装解除を行った。

 宮下大尉は23日第1大隊の位置を見つけ命令を伝えた。このため同大隊は夜になって山中を逢坂に向かった。


 宝台ループ線上の攻防。
 写真は鉄道の宝台ループ線。(webより借用)
250px-Takaradai_Spiral_line[1].jpg 200px-Houshin_Line[1].jpg

 真岡に上陸したソ連軍は豊真山道の荒貝沢、熊笹峠を突破して東に向かっていた頃、真岡町手井に上陸した500~600名のソ連海兵隊もまた豊真山道と平行する鉄道の豊真線上を進んできた。同線上を敵が上陸してくることは予測されていた。

 豊真線は豊原、真岡を結ぶ東海岸と西海岸を結ぶ唯一の鉄道、真岡側からは、深い谷底をきた列車が、沼ノ端駅を過ぎて螺旋状に山を登る(ループ線)線路だった。たった今通過した地点が足下になる。列車はこうして高度を高めて樺太山脈の山懐を進んでゆく、殆ど切り立った山の懐を行く鉄道である。(現在は久春内~真縫に切り替えた)

 予測したとおり、豊真線上を21日未明に進んできていることが避難してくる人や鉄道員の電話で逢坂の歩兵25連隊本部に知らされた。

 20日午後11時逢坂急進の命を受けた第3大隊第11中隊は開けて午前4時少し前、連隊本部に到着、直ちにループ線のある宝台駅での迎撃の命を受けた。
 同中隊には第3歩兵砲小隊、第3機関銃中隊の1個小隊、通信分隊が逢坂から配属された。トラックを捨てて線路上を宝台駅まで約4キロ、この間執拗にミグ戦闘機の機銃掃射を浴びた。ようやく宝台駅を過ぎ午前11時過ぎにループ線を俯瞰する地点まで進出した。

 その時ソ連軍は日本軍を待ち構える体制を敷いていたに違いないだろう。滝本中隊長は直ちに前進をやめて陣地構築、工兵分隊にに命じて眼下のトンネルを爆破させるべく、片山第2小隊長を将校斥候として出した。それから30分後進んでいった方向で銃声が聞こえた。ソ連兵と遭遇したのである。やがて戻ってきた同少尉からかなり兵の集結と砲陣地があることが分かり、これを連隊本部に打電した一瞬重砲火が集中、通信分隊が機材とともに吹き飛ばされ、全員が死傷した。

 一方、この間、藤田第3大隊長が連隊砲中隊長以下と第11中隊の後を追って宝台駅に到着、宝台駅を第3大隊本部とした。
 ループ線を挟んでその後ソ連と先頭が続行、大隊長が負傷し、第11中隊長も重傷、敵はすでにループ線の中間まで攻めてきていた。面白いことにソ連兵は夜になると戦闘はしない。
 線路脇のソ連軍の弾薬が山と積まれたところに火をつけていたが既に、40~50名の生き残りを、戦線の整理をするつもり宝台駅に集合させた。

 真岡での民間人の死亡者は約500名、軍人は約100名とか。

 アスパラの実。
IMG_3478.jpg

IMG_3479.jpg



 キバナコスモス。
IMG_3486.jpg



 コスモス。
IMG_3487.jpg



 野ブドウの実。
IMG_3481.jpg



 ルコウソウ。
IMG_3490.jpg



 ひまわり。
IMG_3107.jpg
 
nice!(208)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

終 戦 Ⅸ [記事]

5日の夕方から6日のお昼に、ようやく雨がやんだ。

じめじめとして梅雨時の雨は厭ですね。北海道にも蝦夷梅雨というのがあるそうです。

今日も前回の続きです。


 歩兵25連隊第1大隊のその後。
 第1大隊が出した停戦交渉の軍使が射殺したソ連軍は、豊真山道とその両側の山から攻撃を加えてきた。その兵力は混成1個旅団と推定される。

 軍使が射殺された後暫くして、豊真山道上のほか真岡の裏山の殆ど前面に向かって散会して、荒貝沢に向かって行動を起こした。仲川大隊長はここに至って停戦の余地がないことを知り陣地死守を命じた。

 山道上の第一の橋を爆破に失敗し、第二の橋をようやく爆破に成功した。その夜は攻撃はなかったが、あけて21日朝になってソ連軍は攻撃を本格化した。ソ連軍砲陣地から砲弾が炊事幕舎のそばに着弾しはじめ、その後、続けざまに爆弾が炸裂、大隊長や大隊本部要員が頭から土砂をかぶり、急遽本部を退避、その頃から大隊本部との連絡が取れなくなり、各中隊、小隊は熊笹峠に後退して戦闘に参加したが、南に行った隊は停戦を知って山を下ったようである。

 仲川大隊長以下、大隊要員は道に迷い樺太山脈を越え、ようやく連隊本部と連絡が取れたときは24日、ソ連による部隊の武装解除の後だった。連隊長はそのまま、私服に着替えて豊原に向かうよう指示した。

 熊笹峠に後退した隊は連隊長の指示で菅原連隊砲大隊長を第1大隊長として指揮するが敵の激しい攻撃のため逢坂北方高地に後退、ここで一線を画すべく陣地を築いていたがソ連軍は陣地を目向きもせず、熊笹峠─逢坂の12キロの中間まで進出してきており、成否は誰も予測がつかない。

次回に



エゾノコリンゴ。
IMG_3394.jpg


 ナナカマドの実る
IMG_3371.jpg


 ヤマナシの実。
 今年は大きな木に一つか二つよりついていないようです。」
IMG_3373.jpg

IMG_3375.jpg


 エノコログサ。
IMG_3391.jpg


 ヒメジョオン。
IMG_3392.jpg


nice!(205)  コメント(12)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

終 戦 Ⅷ [記事]

30日夕方から31日朝方までにかけて台風10号が暴れていきました。

うちは被害がないけれどわが家の裏にある学校のグラウンドの防壁に使っている

金網の上に張ってある編み目の細い網が剥がれて地面に落ちてしまっていた。


 軍使射殺される。
 停戦する準備を整えていた荒貝沢の第1大隊本部は、師団からの命令で(前回も書いたが)18日には約一割の古年次兵が除隊させる。

 連隊長は仲川第1大隊長に対して師団の従前からの指示に基づき速やかに停戦の軍使を派遣することを命じた。大隊副官村田中尉を軍使とし、随員に中前軍曹、通訳金山軍曹(朝鮮出身者)、兵7名、軍犬1を、20日午前8時にさせた。
 
 随員の松本一等兵は後に軍使の父に当てた手紙が残っている。以下に記す。

『皆は無言、先頭に遊佐兵長の白旗。その後ろに整然と隊伍を組んで進む。色々なことが脳裏を去来した。荒貝沢入り口に近づいた。そこまでの距離は実に近くに感じた。酒屋があり、付近には民家かがまばらにある。むろん人影どころか犬1匹見えない。

 前方の様子が分からない。停止した副官は眼鏡を取り出して見たが、右手の小高い丘には何も見えない。前進30mほど進んで鉄道踏切に差し掛かったとき、突然、その丘の上にソ連兵が姿を現し、軍使の停止を求めながら近寄ってきた。

 分隊は踏切にいた。副官は白旗の遊佐兵長、中前軍曹、通訳の金山軍曹とともに前に進み出た。分隊との距離10mほど。副官が通訳を通じて話している。指揮官との会見を求めたのであろう。私たちのところからは何も聞こえない。

 軍使を取り囲むようにして、10mほど手前で一旦止まったソ連兵は、銃をそこに置けと要求、村田中尉の指示で一行は道路端に叉銃すると、同行している軍犬もそばの電柱に縛るよう要求、その指示に従った。こうして武装を解いた後ソ連兵が近づいてきた。

 軍使の申し入れに対し、ソ連兵は受け入れる様子がなく、1名のソ連兵が銃を構えて立ち撃ちの姿勢を取った。副官は胸元の銃口を手で横に押しやってなお話をする。金山軍曹が懸命の通訳をしていた。その時先ほどのソ連兵が突然副官の体に向けるなり銃を乱射した。

 「伏せろ」。誰かの声で、私は副官の倒れる姿を見ながら線路脇の排水溝に飛び込んだ。ソ連兵が最初の乱射と同時かけ集まって、自動小銃を構えて一斉に撃ち始めた。

 私は小銃を取って排水溝を30mほど走った。溝の横が小高くなっているので、ソ連兵の位置から視角になって気づかなかったのだろう。そして、さらには知って小山に登り、防空壕を見つけて飛び込んだ。ところがどうだろう。現場から50mほどの壕内に逃げ遅れた住民が入っている。北の方から来た避難民であった。銃声がやむのを待って「夜になったら部隊のいる方に逃げてくるように」と言い残し、夢中で本部に向かって走った。

 私は状況を報告した。仲川大隊長以下その時の顔を覚えていない。20分ほど遅れて遊佐兵長、太田上等兵が負傷し、血みどろになって帰ってきた』

 大隊長はこの時、初めて戦闘の腹を決めたのだろう。
nice!(209)  コメント(16)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog
メッセージを送る