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蘭の花 2 [花]

先日、蘭の花の展覧会で撮った花の種別が間違っているがあるかも知りません。



 つぎの画像の花を画にしたもの
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 カトレア。
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 シンビジウム。
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 バンダ。
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 ファレノブシス。
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タグ:ラン
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蘭の花 [花]

 先日ランの展覧会に行ってきました。そのとき撮ったらんの花です。今日はパフィオペディルムです。
 
 パフィオペディルムの花は典型的なランの形をしているが、その中でも特徴的なのはリップと呼ばれる袋状の花弁。
 中心の花弁の一つが袋状になっているため、ユニークな呼び名がつけられている。

 ◇ レディーススリッパ(淑女のスリッパ)
 ◇ ビーナスのスリッパ

 花は40日~50日もの間咲き続ける。

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樺太・宝台ルーフ線上の攻防 1 [記事]

去年の膀胱がんで入院で半年の間に麻酔と手術をやったのでか、すっかり体が弱ってしまいました。最も歳も92歳だが・・・


(樺太終戦記録・金子俊男著)から
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 昭和20年7月末、留多加町に展開した第3大隊中川通信小隊、私たち通信分隊も配属された。8月15日夜9時過ぎに弾薬を積んだトラック3台に分乗し逢坂の連隊本部に到着、連隊本部配属となる。

 樺太でのソ連との戦いで真岡地区に上陸したソ連軍は豊真山道の荒貝沢、熊笹峠を突破して東に向かっていた頃、真岡町手井に上陸した500~600名のソ連海兵隊もまた豊真山道と平行する鉄道の豊真線上を進んできた。同線上を敵が上陸してくることは予測されていた。

 豊真線は豊原、真岡を結ぶ東海岸と西海岸を結ぶ唯一の鉄道、真岡側からは、深い谷底をきた列車が、沼ノ端駅を過ぎて、螺旋状に山を登る(ループ線)線路、たった今通過した地点が足下になる。列車はこうして高度を高めて樺太山脈の山懐を進んでゆく、殆ど切り立った山の懐を行く鉄道である。

 予測したとおり、豊真線上を21日未明に進んで来ていることが避難して来る人や鉄道員の電話で逢坂の歩兵第25連隊本部に知らされた。

 アニワ湾の多蘭内や池月飛行場警備を放棄し、小沼集結のため留多香にに出て、そこで逢坂急進の命(20日午後11時)を受けた第3大隊第11中隊は明けて午前4時少し前、連隊本部に到着直ちにループ線のある宝台駅付近での迎撃の命を受けた。

 同中隊には第3歩兵砲小隊、第3機関銃中隊の一個小隊が逢坂から配属された。
トラックを捨てて線路上を宝台駅まで約4キロ、この間中隊は執拗にミグ戦闘機の機銃掃射を浴びた。ようやく宝台駅を過ぎて午前11時過ぎにループ線を俯瞰する地点まで進出した。
 
 その時ソ連軍が日本軍を待ち構える体制を敷いていたに違いないだろう。滝本中隊長は直ちに前進をやめて陣地構築、工兵分隊に命じて眼下のトンネルを爆破させるべく、片山第2小隊長を将校斥候としてだした。それから30分後進んでいった方向で銃声が聞こえた。ソ連兵と遭遇したのである。

 やがて戻ってきた同少尉からかなり兵の集結と砲陣地であることが分かり、これを、逢坂の連隊本部に打電した一瞬重砲火が集中、通信小隊が機材とともに吹き飛ばされ、全員が死傷した。

 一方、この間、藤田第3大隊長が連隊砲中隊長以下と11中隊の後を追って宝台駅に着き、宝台駅を第3大隊本部とした。
ループ線を挟んでその後ソ連と戦闘が続桁が大隊長が負傷し、11中隊長も重傷敵はすでにループ線の中間まで攻めてきていた。

 面白いことにソ連兵は夜になると戦闘はしない。線路脇のソ連軍の弾薬が山と積まれた処に火をつけていたがすでに、4,50名の生き残りを、戦線を整理するつもりで宝台駅に集合させ、夜になってソ連軍が引き上げたのか敵は最後まで姿を現さなかった。  つづく。 

 我が家の福寿草
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尼港事件 2 [記事]

 前回の続き・・・
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 私が樺太在住中にこの尼港事件を聞かされていた。日本人だけではない、市内のロシア人もポーランド人、イギリス人も、ユダヤ人も国籍を問わず惨殺と略奪の対象になった。赤軍バルチザンの中で最も残酷な行為を行ったのは、中国人と朝鮮人の兵士だったという。

 街の監獄と軍の留置所では、投獄されていた160人のうち、生き残ったのはたった四人のみ。バルチザンは縦断を節約するために、囚人を裸にし、手を縛り、裏庭に連れ出して斧の背で頭を打ち、銃剣で突き、死体は街のゴミ捨て場に捨てられるかあるいはアムール川の氷の中に投げ捨てられた

 5月になって雪が溶けるとハバロフスクの日本軍14師団の主力がアムール川沿いを、さらにまた本国から救援の艦船が尼港目指して向かったその動きを察知したバルチザンは退却する前に女性を片足ずつ縛り、その端を馬に縛り付け股裂きを(これは私が樺太在中に聞いた話、どこまで本当かはわかりません)

 現状では損害賠償をとるにも正式な政府があるようでないので政府は北樺太を賠償保証のため部隊を進駐させた。日ソの国交が結ばれるまで5年間も続いた。


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