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樺太逢坂・歩兵第25連隊 Ⅷ [体験記]

 宝台ループ線上でり攻防。
 その時尖兵が、前方200メートル付近に黒い人影を発見した。ソ連軍が偵察機からの連絡で日本軍を待ち構える態勢を敷いていたのだろう。

 滝本中隊長は直ちに前進をやめて陣地につかせるとともに工兵分隊に命じて眼下のトンネルを爆破させ、第2小隊長の片山少尉に、将校斥候として出した。

 それから約30分後、片山少尉らの進んでいった方角で銃声が聞こえた。ソ連兵と遭遇したのであるソ連軍陣地の近いことがこれによって明らかにされ、やがて戻ってきた同少尉から、かなりの兵が集結していること、さらに砲陣地であることが報告され、これを通信分隊が尾坂の連帯本部に打電した一瞬、銃砲かが集中、同小隊は通信機材とともに吹き飛ばされほとんど全員が死傷した。

 この戦闘で弾薬輸送をおこなっていた住民が指揮班の近くにいたが至近弾で1人が死亡、ほかに2人が負傷した。この戦闘で住民を含めて12名と負傷者若干。

 この戦闘は約1時間後午後2時過ぎ、わが軍が射撃を中止すると、ソ連軍の銃砲声がまもなく止んだ。私は伝令に各隊は早く休むように指示した。22日午前5時30分頃であろうか、豆腐売りのラッパのようなものが一斉に鳴り出した。途端、銃砲撃が我が方めがけて猛烈に開始された。

 やがて、倒れている私を見てかけよって来た兵に起こしてもらい指揮をとった。午前中右足をやられ、また左足、その上左手までやられたとは誠に無残な姿である。前線に連絡し状況報告させる。相当の損害である。次第に22日の夕闇が迫ってくる。そのうちに私めがけて焼夷弾攻撃をかけバリバリ音を立てて付近が焼け始めた。兵達は私を笹の少ないところに移してくれた。

 付近は真っ暗になる。全員集合をかけた。ポッポッと集まってくる。互い健在であった喜びを小さい声で語り、固い握手をする。だが私は倒れたのみ。そのとき私はこれ以上生き残ることは、いたずらに部下に迷惑をかけると思い自殺する覚悟をして背中の拳銃に手をかけようとするが取れない。五十嵐曹長それを見ると私の拳銃をとって投げてしまった。

 50名ほどの生き残りがいた。各小隊長を集合させ部隊は一応戦線を整理する目的を持って宝台駅に集合することを命じた。

 (2回目の停戦交渉の軍師も射殺されたが兵がソ連軍からの連隊長が23日午前0時までに来るようにと云う書状を持ち帰った。即23日0時を持って停戦した。)


 ハナトラノオ
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 ヘレニウム
  別名:ダンゴギク。
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 オオハンゴンソウ
  別名: ルドベキア。
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