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樺太逢坂・歩兵第25連隊 X [体験記]

第25連隊長、停戦協定むすぶ。

 8月23日連隊長の停戦協定が成立。私達は連隊本部にいたので午前8時頃、武装解除を受けた。しかし私のところに来たのは18,9才の若造で、見窄らしい格好の兵で私は腕時計をとられてしまった。

 兵隊ががあちこちに散らばっているので武装解除の連絡のため連隊本部にいた将校連中がトラックに乗って停戦のため連隊本部に集合するよう呼びかけた。第1大隊本部にいた兵は早くに最初の大隊長以下4名が武装解除せずに豊原に向かった。

 明けて24日午後、豊原に・・途中で夜になって野宿する。
人数は不明だが100名ほどでなかっかと思う。


 

 フウセンカズラ。 
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 バ ラ。 
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 ヤブラン。
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樺太逢坂・歩兵第25連隊 Ⅷ [体験記]

 宝台ループ線上でり攻防。
 その時尖兵が、前方200メートル付近に黒い人影を発見した。ソ連軍が偵察機からの連絡で日本軍を待ち構える態勢を敷いていたのだろう。

 滝本中隊長は直ちに前進をやめて陣地につかせるとともに工兵分隊に命じて眼下のトンネルを爆破させ、第2小隊長の片山少尉に、将校斥候として出した。

 それから約30分後、片山少尉らの進んでいった方角で銃声が聞こえた。ソ連兵と遭遇したのであるソ連軍陣地の近いことがこれによって明らかにされ、やがて戻ってきた同少尉から、かなりの兵が集結していること、さらに砲陣地であることが報告され、これを通信分隊が尾坂の連帯本部に打電した一瞬、銃砲かが集中、同小隊は通信機材とともに吹き飛ばされほとんど全員が死傷した。

 この戦闘で弾薬輸送をおこなっていた住民が指揮班の近くにいたが至近弾で1人が死亡、ほかに2人が負傷した。この戦闘で住民を含めて12名と負傷者若干。

 この戦闘は約1時間後午後2時過ぎ、わが軍が射撃を中止すると、ソ連軍の銃砲声がまもなく止んだ。私は伝令に各隊は早く休むように指示した。22日午前5時30分頃であろうか、豆腐売りのラッパのようなものが一斉に鳴り出した。途端、銃砲撃が我が方めがけて猛烈に開始された。

 やがて、倒れている私を見てかけよって来た兵に起こしてもらい指揮をとった。午前中右足をやられ、また左足、その上左手までやられたとは誠に無残な姿である。前線に連絡し状況報告させる。相当の損害である。次第に22日の夕闇が迫ってくる。そのうちに私めがけて焼夷弾攻撃をかけバリバリ音を立てて付近が焼け始めた。兵達は私を笹の少ないところに移してくれた。

 付近は真っ暗になる。全員集合をかけた。ポッポッと集まってくる。互い健在であった喜びを小さい声で語り、固い握手をする。だが私は倒れたのみ。そのとき私はこれ以上生き残ることは、いたずらに部下に迷惑をかけると思い自殺する覚悟をして背中の拳銃に手をかけようとするが取れない。五十嵐曹長それを見ると私の拳銃をとって投げてしまった。

 50名ほどの生き残りがいた。各小隊長を集合させ部隊は一応戦線を整理する目的を持って宝台駅に集合することを命じた。

 (2回目の停戦交渉の軍師も射殺されたが兵がソ連軍からの連隊長が23日午前0時までに来るようにと云う書状を持ち帰った。即23日0時を持って停戦した。)


 ハナトラノオ
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 ヘレニウム
  別名:ダンゴギク。
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 オオハンゴンソウ
  別名: ルドベキア。
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樺太逢坂・歩兵第25連隊 Ⅶ  [体験記]

 私は戦前生まれ、樺太育ちです。なんで終戦後戦わなければならなかったか・・・・

 皆さんの中にも体験された方が多くおられると思いますが、戦争とはどんなものか、そして敗戦とはどんなものか身を以て体験しました。

 なんだ戦争の記事か・・どうでもいいやと思われる方はどうぞスルーして下さい。なお、私が経験した以外の記事は樺太1945年夏(樺太終戦記録・・金子俊男著)やWebより転載しています。



 宝台ループ線上の攻防。
 真岡に上陸したソ連軍の主力が豊真山道の荒貝沢、熊笹峠を突破して東に向かっていた頃、真岡手井に上陸した部隊もまた山道に平行する豊真線上を進んできた。
 
 豊原、真岡を結ぶ同線は東海岸と西海岸を結ぶ唯一の鉄道である。ソ連軍がここを進んでくるとしても、線路上を歩いて来るしか方法がなくトンネルと鉄橋で阻止すれば事足りるはずであった。
 
 しかし停戦命令によってこの計画が決行されずに終わり、21日未明には予測していた通り、豊真線上を「黒い服装の大部隊」が進んできていることが、追われるようににして避難してくる人たちや鉄道員の電話で、逢坂の歩兵第25連隊本部に知らされた。

 第3大隊の第11中隊は逢坂急進の命を受け、午前4時少し前に連隊本部に着き、直ちにループ線のある宝台駅付近での仰撃の命令を受けた。同中隊はトラックで二股に引き返し、軍に協力を申し出た同地の男子に後方の弾薬輸送を頼み、車を二股地区の婦女子の避難のために残し、線路上をを歩いて宝台駅のさらに西、ループ線付近まで進んだ。

 同中隊には第3歩兵砲小隊と第3機関銃中隊の一個小隊、それに工兵分隊、通信隊が配属された。

 トラックを捨てて線路上を宝台駅まで、約4キロ、この間、中隊は執拗なミグ機の機銃掃射を浴びた。宝台駅に着く寸前のトンネルを出た地点の鉄橋上では死傷者も出た。しかもたどり着いた宝台駅付近は身を隠す物もなく、やむなくさらに800メートル程進んで、午前11時過ぎ、ループ線を見下ろす地点まで進出した。

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 ノウゼンカズラ。
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 にらの花。
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 瓢箪では?。
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樺太逢坂・歩兵第25連隊 Ⅵ [体験記]

◆真岡地区に上陸したソ連軍の主力が豊真山道荒貝沢、熊笹峠を突破して東に向かっていた頃、真岡手井に上陸した部隊が、山道と平行する豊真線上を進んできた。

 豊真線は真岡と豊原を結ぶ唯一の鉄道である。深い谷底を縫ってきた列車が、池ノ端駅を過ぎて、高度を高めていくループ線で、ソ連軍は線路上を歩いて来るしか方法がない。

 20日鉄道員の電話で第25連隊本部に知らされた。第3大隊の一部がループ線の近くの宝台駅を第3大隊本部とし、通信所を開設し、連隊本部との通信をおこなったところでソ連の砲弾がまともに通信所に命中通信小隊長及び兵が戦死、連絡の方法は伝令だけとなった。
 (第3大隊は私らが最初の配属先であった)。


 地 図
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 ループ線
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樺太・逢坂歩兵第25連隊 Ⅴ [体験記]

 又、軍師が射殺される。


 熊笹峠の戦闘が混乱している22日夕刻第88師団司令部より「例え捕虜となるも即時停戦せよ」との命令。玉砕を覚悟していた山沢第25連隊長はロシア語の分かる村山主計中尉を軍師とする一方、熊笹峠の第1大隊に伝えるため連隊付きの宮下安一大尉ををだした。


 しかし、宮下大尉は途中で軍使の村山主計中尉の遺体を確認し、なお進んで高地に兵が集結していた第1大隊長に連隊の命令を伝えることができた。


 その村山軍使は22日午後8時軍使としての命を受け部下4名と武装せず大きい敷布の白旗をに掲げ同20分に出発した。

 宮下大尉は午後10時頃逢坂の近くで銃創を受けた1名の兵士に出会う。その兵士は村山軍使に従って行った兵士で、軍使はまた射殺され状況を報告のため戻る途中であった。

 村山軍使以下は逢坂の西約4キロの豊真山道のカーブの地点でソ連軍の1個小隊ほどと合い、トラックを停止させられ「武器を捨てろ」と手まねし、武器を持っていないので、下車を命じ整列した5名を右から自動小銃で不意に撃ったという。左にいたその兵士は頭に弾丸を受け倒れるふりをして谷に落ち込んで脱出した。

 
 石黒連隊副官は「村山中尉ら3名は射殺され2名が助かった。そのうちの1名はソ連軍のメモを持ってきた。それによると「午前0時、ラッパを吹かせながら連隊長自ら峠に向かってくるように」と合った。山沢連隊長は石黒副官を先頭に通訳と道路上に自動小銃の間をくぐってソ連軍の指揮官らしい中佐に会った。そして23日午前2時戦闘中止を確認、ソ連軍とともに逢坂に引き返し同7時集結中の部隊の武装解除を行った。


 宮下大尉は23日第1大隊の位置を見つけ命令を伝えた。このため同大隊は夜になって山中を逢坂に集まった。



 ◆ ムクゲ。
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 ◆ コムラサキの花。
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 ◆ プットレア。
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樺太逢坂・歩兵第25連隊 Ⅳ [体験記]

 20日早朝、爆音がする。真岡へのソ連軍の艦砲射撃。
 20日早朝逢坂に爆音が届く。ソ連の艦砲射撃であった。
 艦砲射撃を加えつつ真岡に上陸してきたソ連の1個旅団が、避難中の市民に無差別攻撃。市人500人以上も命を失う。街中も砲撃され焼け野原となる。

ここでも、最後まで通信に携わっていた9人の女子電話交換手が青酸カリで自殺しています。最後の通信は北海道稚内郵便電信局の交換台に言葉を残しています。詳しく知りたい方は「氷雪の門」或いは「北のひめゆり」で検索すれば多くの記事にぶつかるでしょう。 ◆ 停戦の軍使射殺される。

 ソ連軍を上陸させ、熊笹峠に後退していた第1大隊長は師団の命令で停戦のための軍使をソ連軍に派遣するが射殺される。 以下はその状況が書き残されている。

 みんなは無言、先頭は遊佐兵長の白旗。その後に整然と隊伍を組んで進む。色々なことが脳裏を去来した。荒貝沢入り口にが近づいた。そこまでの距離は実に近く感じた。酒屋があり、付近には民家がまばらにある。無論人影どころか犬1匹見えない。

 前方の様子が分からない。停止した副官は眼鏡を撮りだしてみたいたが、右手の小高い丘には何も見えない。前進、30mほど進んで鉄道踏切に差し掛かった時、突然、その丘の上にソ連兵が姿を現し、軍使の停止を求めながら近寄ってきた。

 分隊は踏切の上にいた。副官は白旗の遊佐兵長、中前軍曹、通訳の金山軍曹とともに前に進み出た。分隊との間隔10mほど。副官は通訳を通じて話している。指揮官との会見を求めたのであろう。私たちのところからは何も聞こえない。

 軍使を取り囲むようにして、10mほど手前で一旦止まったソ連軍は、銃をそこに置けと要求、村田中尉の指示で一行は道路端に叉銃すると、同行している軍犬もそばの電柱に縛るよう要求、その指示に従った。こうして武装を解いた後ソ連軍が近づいてきた。

 軍使の申し入れに対し、ソ連軍は受け入れる様子がなく、一人のソ連兵が銃を構えて立ち撃ちの姿勢をとった。副官は胸元の銃口を手で横に押しやって尚話をする。金山軍曹のが懸命の通訳をしていた。その時、先程のソ連兵が突然副官の体に銃口を向けるなり銃を乱射した。

 「伏せろ」、誰かの声で、私は副官の倒れる姿を見ながら線路脇の排水溝に飛び込んだ。ソ連兵が最初の乱射と同時に駆け集まって、自動小銃を構えて一斉に撃ち始めた。

 私は小銃をとって排水溝を30mほど走った。溝の横が小高くなっているので、ソ連兵の位置から死角になって気づかなかったのだろう。そして、更に走って小山に登り、防空壕を見つけて飛び込んだ。ところがどうだろう。現場から50mほどの壕内に逃げ遅れた住民が入っている。北の方から来た避難民であった。銃声が止むのを待って「夜になったら部隊のいる方に逃げてくるように」言い残し、夢中で本部に向かって走った。

 私は状況を報告した。仲川大隊長以下その時の顔を覚えていない。20分ほど遅れて遊佐兵長、太田上等兵が負傷し、血みどろになって帰ってきた。大隊長はこの時、初めて戦闘の腹を決めたのだろう。
 この模様を第1大隊長から25連隊長に報告し戦闘開始する。



 ◆ 紫陽花。
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 ◆ ヘリオプシス。
 キク科ヘリオプシス属。 多年草。北アメリカ原産、明治中期に渡来する。
 「ヒメヒマリ」「キクイモモドキ」の別名がある。
 非常に丈夫な植物で病害もなく日当たりの良い場所を好む。
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 ◆ ニワウメの実。
 バラ科  果実はほぼ球形、大きさは1センチ。
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樺太逢坂・歩兵第25連隊 Ⅲ [体験記]

 昨日はとうとう小雨が降ったりやんだりの一日でした。

 25連隊本部を逢坂国民学校に置いた。8月16日朝早く、私達fは連隊本部に到着した。翌日早速ソ連の偵察機1機からお出向かいを受けた。いきなりの機銃掃射、召集兵なのか年配の兵がタコツボに逃げたらしい、上から見たら丸見えだろうに、怪我をしたらしい。

 8月18日、我々には何の指示もない、鉄道の電話線路と電話局の電話線路を1度巡回してみるかと、分隊長の発案で、上の許可を取り、二手に分かれて豊原方面に向かって歩いた。
私は畑の縁を歩いていたとき、プロペラの音が耳に入ると同時に銃弾が土煙を上げてこの目に映った。瞬間1秒もたったか、たたないうちに目の前2メートル程手前で止まった。音のする空を見上げるとソ連の偵察機、機銃掃射の狙い撃ち、15メートル程まで低空、機関銃と1発銃じゃ話にならない。

 8月20日午前6時半頃ソ連艦船十数隻で艦砲射撃、機銃掃射などで上陸真岡市内には警察官と憲兵数名、部隊は市内の背後山手の荒貝沢に第1大隊本部を置いていたが、射撃命令下さず、停戦軍師を派遣するが、射殺される。

 
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 今日は花の写真がないので一度アップした写真です。
 カワウ。
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 サギ。
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 ハクセキレイ。
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 キタキツネ。
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樺太逢坂・歩兵第25連隊 Ⅱ  [体験記]

 前にも書いたが私はどこに所属しているかというと、歩兵第25連隊通信中隊だが、7月末、連隊が各地に展開したとき25連隊第3大隊に中川曹長を小隊長として配属、中隊は第1、2、3大隊、歩兵砲大隊に配属され、ばらばらになった。

 私達!個分隊(10名)は留多加郵便局で電話交換手として働いていた。夜勤があるので部屋は別棟を与えられたが、他は無線担当だろうと思う、顔を合わしたことがなかった。

 8月15日終戦の日の夜、弾丸を積んだトラック2台に分乗して逢坂に・・・、連隊本部が8月9日以降で、第1大隊主力が小能途呂から、真岡にかけての海岸線の背後に入り、連隊本部と歩兵砲大隊は逢坂に進出したのは12日であった。

 連隊本部は事務所と宿舎は逢坂小学校、電話は、最後まで局長の奥様が行っていた。一体我々は何ために逢坂みらに来たのか、なんの仕事がない。

 26日朝食を取り、名前が失念したが見習士官迎えてくれた。前述の事情を話してくれた。すぐ、見習士官と分隊長と私と3名が手井駅方面を線路を行ったが途中1キロ歩いたら。線路脇に大きな穴が見つかり、場所は線路から両脇40メートル、全長150メートルほど、伐採されて、いざというとき身を隠し場所がなく、引き返す。


 地 図。
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 ノーゼンカズラ。
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樺太逢坂・歩兵第25連隊 [体験記]

前回も書いたが、ソ連参戦で対米陣地構築のため、連隊本部、歩兵砲大隊を小沼に置き、第1大隊を落合に、第2大隊を西能途呂岬、第3大隊を留多加に展開した。

しかし、ソ連参戦したため歩兵第25連隊が、真岡を中心とする守備についたのは、8月9日以降で、第1大隊主力が真岡に着き、小能途呂から真岡にかけての海岸線の背後に入り、連隊本部と歩兵砲大隊は逢坂に進出したのは12日であった。

しかも、第1大隊第3中隊は恵寿取の第125連隊の応援に急派され、第10中隊は上敷香の筑紫参謀の指揮下に入り、1個連隊というものの、歩兵は約半数の兵員であった。

10日、本斗~野田に至る海岸線、ソ連から防御するために重点配置をした。しかし、11日には国境方面の戦闘が思わしくないので第1大隊の一部を残し応援するよう師団命令。

しかし、その後ウラジオストックからソ連艦隊が北上中ということで先の命令を取り消し前任務に復帰するようにとの命令で慌ただしい命令変更で右往左往したが、第1大隊は本部と主力を真岡。新貝沢に残し、各中隊しょうたいを決められた場所に配置した。

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 黄花のセイヨウノコニリソウ。 IMG_3437_1.jpg



 アガパンサス。 IMG_3435.jpg

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樺太・逢坂 [記事]

7月末には歩兵第125連隊は国境および北部両海岸、その南を第25連隊、第306連隊を米軍上陸を警戒して展開した。

第25連隊は対米陣地構築のため連隊本部、歩兵砲大隊を小沼に置き第1大隊を落合に、第2大隊を西能呂岬(北海道稚内要塞司令官の指揮下)、第3大隊は留多加に置いた。

私達通信中隊は連隊が各地に展開する際、歩兵第25連隊の各大隊に配属、中川曹長小隊長として第3大隊に配属、私達分隊9名はこの町の電話交換業務を行う。

8月15日午後10時頃弾薬を積んだトラック2台に分乗、16日早朝逢坂の連隊本部に到着する。ソ連参戦で第1大隊、連隊本部は13日とか。

(上敷香に残ったのは初年兵と教育班だけでソ連と参戦してから、どうなったか私には分からない)

  地図。
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  ユリ。
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タグ:ゆり
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